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 その日、ヤミはいつもの店でいつものようにたい焼きを買っていた。
出来上がるのを待つ間ぼんやりと、自分の周りを囲む街並みに視線を向ける。やたらと男女の連れ合いが目に入った。
 何か祭りでもあるのだろうか、と思案。地球に来て日が浅いヤミは、こういった行事には疎いのだ。
「あいよ、おまち」
「ありがとうございます」
 もはや顔馴染みとなった恰幅の良いおばさんから包みを受け取る。気のせいか、袋がいつもより重く感じた。
「……?」
 気になって袋の中身を確認してみる。案の定、中には頼んだ覚えのない茶色のたい焼きが二匹、群れの中に迷い込んでいた。
「あの……これは?」
 疑問に思い訊いてみる。自分は頼んだ分の代金しか払っていなかったので、間違えだったら申し訳なかった。
「ああ、それかい? いつも買ってくれるからおばちゃんからのサービスだよ!」
「……サービス、ですか」
 宇宙一の殺し屋である金色の闇もおばさんのパワーには引き気味だった。
「なんたって今日はねぇ……ムフフ」
 おばさんはその分厚い顔面にいやらしい笑みを張り付ける。何が面白いのか、ヤミにはよくわからない。
「今日は……何ですか?」
 ヤミのその質問におばさんは「おや!」とやたら大きなリアクションで驚いて見せた。
「お嬢ちゃん知らないのかい!?」
 およそ99ホーンはありそうな大声でヤミに詰め寄るおばさん。ヤミは少し身体を引いて、困惑気味に答える。
「え、ええ。なんだか、やたらとくっついている人が多い気がしますが」
「おやおやおや。こんな日にたい焼きなんて買ってるからそうかもしれないと思ったけど、
こりゃあ、相当なネンネだねぇ。お嬢ちゃんは」
 よりにもよってたい焼き屋のあなたが「なんて」と言いますか、という突っ込みはヤミの口の中に留まった。
それよりもヤミは自分の知識にない言葉に興味をひかれる。
「ネンネ、とは? どういう意味の言葉ですか?」
「おやおやおやおや。しょうがないねぇ。そんじゃ、おばちゃんが色々と教えてあげようかね」
 こうして親切なおばさんによる、ヤミの特別恋愛指南講義が開かれた。







 二月十四日の、寒空の下で。




「あー、疲れた」
 リトは今日一日の疲れを全身に背負ったようにノロノロとした足取りで校門を出た。
その顔には例えようのない疲れと、何かをやり遂げた漢の達成感がこびり付いている。
「よく、今日という日を乗り切ったよな……オレ」
 思わず涙が込み上げてくる。それほど今日という日はリトにとって災難なものだった。
 単純に起きたことだけを説明するならば、チョコレートを持った女の子に追いかけられたのだ。
 これだけ聞くとなんて勝ち組みなのだろう、と世の男子の半数以上が彼の夜道をつけ狙うだろうが、
実際は字面ほど華やかなものではなかった。
 前々から予感はしていたのだ。蜜柑がララにバレンタインデーの定義を説明した時、
『よーし、じゃあリトのために張り切ってチョコレートを作っちゃおう!』と言って、工作ツールを手に研究室へ籠った辺りから。
ああ、おそらくチョコレートじゃないなにかがくるなあ。食べれればいいかなあ、と楽観視していたのがまずかった。
思えば、あの時に全力で止めに入っていれば。
 そして迎えた今日。朝っぱらから古手川と衝突して、その時うっかり下着を覗き見てしまい、
必殺技を喰らうという体験をくぐりぬけ(目が覚めると完全に遅刻だった上に、なぜかチョコレートが置かれていた。誰のだったのだろう)、
なんとか教室で授業を受けた。そこまではまだ良かった。日常の範疇だ。
だが、ララの持ってきたチョコレートが今日という日を厄日に変えた。
 昼休みも終わる頃、朝置いてあった差出人不明のチョコレートと蜜柑から昼飯代わりに受け取ったチョコレートで空腹を満たした時、
災厄がやってきた。初め感じたのは微弱な揺れ。え、地震? と思わず机の下にもぐりそうになるのを堪えていると、ララの声が聞こえた。
徐々に強くなる揺れに耐えながら、その声につられて廊下へ出るとそこには――
「ううっ……。やめよう。思い出したくもない」
 これ以上はリトの心の傷となっているため回想はできない模様。あえて言うのなら、さっきリトが出た校舎には、
まるで特撮の怪獣映画のように破壊と粉砕を繰り返している、巨大な茶色いゲル状の悪魔がいるのだが――深くは掘り下げないでいよう。
 とにかくこんなハードな一日を過ごしたリトが今求めるのは、早急な安息だった。
「早く、帰ろう……」
 杖をついた老人のような足取りで自宅へと向かう。
 今日はもう、ただただ泥のように眠りたい。リトの心は一つの欲求に縛られていた。
 やがて見えてくる見慣れた我が家。だがそこに見慣れない人影が。
 殺し名にもなるほど印象的な長い金髪。小柄な体躯を包む、どこか扇情的な衣装は光沢をもつ黒。
宇宙一の殺し屋で、今では自分たちの友人(と、リトは認識している)である金色の闇ことヤミが家の前をうろついていた。
「おーい! ヤミー!」
 思わず声をかける。
「――ッ!」
 珍しく、本当に珍しくだが、ビックリしたようにヤミの肩が跳ねた。
そのことに少なからずの動揺を覚えつつ、リトは親しげに彼女へ近づいてゆく。
「なにしてんだ? こんなところで。蜜柑なら、この時間はまだ家に帰ってないぞ」
「…………」
 反応がない。よく見るとヤミはたい焼きの袋を胸に抱きしめ俯いたままだ。
 こんなヤミをリトは見たことがなかった。なんというか、ひどく、女の子らしい。
 心の中の動揺を隠すように、リトは適当な話を続ける。
「あ、それともララか? 悪いけどアイツなら学校で邪神と戦闘中だけど」
「…………です」
「ん? なんだって?」
 ぼそりと。いつもそんなにボリュームがある方ではない声が、さらに小さく何かを呟く。
「あなたに、用があるといったんですよ。……結城、リト」
 俯いていた顔をあげる。いつもは陶器のように白く、人形のような怜悧さを保っている顔が、
今は朱を注したように赤い。冷たい感情しか宿ることのなかったその瞳は、これまでにないほど潤んでいた。
「え、あの、その。オレに?」
 無言で首肯。
 普段のリトならば、今の空間を占めるピンク色の空気を感じとっていただろう。
しかし、疲労がピークに達しいつもの数段頭の働きが緩慢になっているリトにとって、ヤミのこの態度は疑問を生むものでしかなかった。

「えと、なんで?」
 さっきから疑問符ばっかりだな自分、と意味なく冷静なことを考える。
「………………………………………………」
 ヤミは無言のまま立ち尽くしている。その口が中々開きそうにない、と判断したリトは、
「えーと、とりあえす中入る?」
「――――ッ!」
 瞬間、ヤミの顔を動揺が駆け巡る。口がパクパクと意味なく開閉し、顔をさらに赤く染め、ひねり出した一言。
「え、えっちぃのは嫌いです!」
「なんで!」
 突然、活動を再開したヤミ。何が何だかわからないリトに抱えていた袋を突き出し、早口で捲くし立てた。
「これは別に意味のあるわけではなくただ単純に地球の異端的文化を調査してこの経験を今後の蓄え賭していくためのものであって
いわば研究は探求の過程であなたでなければと特定するわけでもなく言うなれば誰でも良かったのですが身近な異性ということで
真っ先に浮かんだのが偶々あなただったというだけで深い意味はないのでその辺りを努々忘れないように」
「あ、ああ」
 リトの耳には半分とはいっていなかった言葉だが、ヤミはひとしきり言うと、脱兎のごとく駆けだしていった。
「なんだったんだ」
 気が付くとリトの手には、ほんのりと熱を持った紙袋。中をのぞくと茶色に染め上げられたたい焼きが二つほど入っていた。
 リトは一つを千切り、口に放り込む。わずかな温もりと、強い甘さがすぐに口の中を覆う。
「……チョコ、たい焼き?」
 疲れた脳に、甘さがひどく染みた。