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「へ?植物園?」
  陽光うららかなある春の日の朝、突然のモモの提案に結城家の一同は目を丸くした。
「ええ。先日のお花見が楽しかったので、私の手持ちの植物たちでも同じようなことができないかなと思いまして」
「それで、またプログラムを組んだわけか……」
 嬉々として語るモモが手に持っているのは、例のすごろくの時に使った認証リングである。
 ララはともかくとして、その輪っかにいい思い出がないその他の面々はつい笑顔を引きつらせてしまう。
「な、なあ、今回はモモもそれ着けるんだよな?」
「そ、そうそう。モモさんも来るよね?」
 リングの数を見て、前回のように外からの見物とはいかないことを確信したナナと、ララが来たばかりの頃のように自分にはアクシデントが降りかからないという自信を喪失した美柑が冷や汗を流しながらモモに尋ねた。
 モモも一緒に着いてくるならまだしも、彼女が来ないのであれば事件が起こる可能性は100%であると、培った危険予知能力が示してくれているからである。
 そもそもモモが楽しそうに何かを提案してくるだけでダウトと叫びたくなる、さすがにこれは口には出せなかったが、ナナは今泣くのと被害に遭ってから泣くのではどちらがダメージが少ないだろうかと計算しながらそう考えた。
 まあ、モモの参加如何に関らず、危険を危険と認識しない自分の姉の爛々とした瞳を見てしまった時点で、この計画は止めようがないのである。
 どうして同じ姉妹でこうも性格が違うのか彼女には見当もつかなかったが、姉もモモもどちらかといえば加害者であり、姉妹の中で何故か自分だけが被害者であるという理不尽な構図だけははっきりと理解できていた。
「ええ。私も行きますよ。そんなに構えないでくださいな」
「う……、分かったよ」
 元々甘い性格をしているナナは、それ以上抵抗する余力を持ち合わせてはいなかった。
 とにかくリトの一挙一動に細心の注意を払っていれば自分が被害者になることはないだろうと前向きに考えるしかない。
 当のリトも、何か嫌な予感を感じつつも断る様子はなさそうで、モモが配るリングをへらへらと笑いながら受け取っている。
 本人からすれば決して鼻の下を伸ばしているという意識はないのだろうが、リトのことを色眼鏡越しに見ているナナには、どうしても彼の行動が好意的に映らないのである。
 いや、正確には、映らない「はずだった」のだが、心のどこかでリトを認め始めている自分がいる。
 一足先にリングを着けてプログラム内に消えた彼がついさっきまでいた空間、そこに笑顔の彼の残像を見つけて、ナナは自戒するように頭を振った。
「やっぱり甘いのかな、あたしって」
 地球に来てから、今まで知らなかった自分が何人も現れては消えていく。くしゃくしゃになりそうな思考を無理矢理に押さえつけるように、ナナはリングをはめた。

 

 やはり来るべきではなかった。リトは痛む頭を労わるように軽くこめかみを押した。
「ほらリトさん、見てください。あれがキャベ人です。胃腸薬によく使われるっていう話ですよ」
 彼の右腕にはモモの左腕が組まれている。日の光が大地に届く程度にまばらに立った様々な木々の間を、二人は散歩するようなのんびりとした足取りで進んでいた。
 若く細い幹の隙間には、時折モモの放った宇宙植物たちが顔を出す。
 サファリパークの動物たちをそのまま植物にすげ替えたものと言えばいいのか、モモによってプログラムされた植物園は花見からインスパイアされたものとは到底思えないほどワイルドなものに仕上がっていた。
「近すぎちゃってどうしよう、か……。はは……。」
 ここまで似せるのであれば鉄柵のついた車も作って欲しかったとリトは嘆息する。まだこの植物園に来て一時間と経っていないが、彼らはすでに数回ほど、宇宙植物の襲撃に遭っていた。
 そのたびにモモがやんわりと撃退してくれたお陰で事なきを得ているものの、何故か別の位置からスタートさせられた美柑やナナは大丈夫なのかと心配になる。
 もちろん自分がいたところでどうしようもないし、向こうのグループにはララがいることも分かってはいるのだが、やはり自分の目で見れないと悪い想像が膨らむ。
「なあモモ」
「はい?」
 キャベツのような形をした何かを指差して楽しそうに解説しているモモを止めるのは悪いとは思いつつも、リトは尋ねずにはいられなかった。
「何でスタート地点を別にしたんだ?ララがいるとは言っても、モモといたほうが安全な気がするけど」
 リトは比較的、何も考えずに発言するタイプの男である。そのせいで女性陣に要らぬ誤解を与えることもあるが、いい意味でのその軽さは、裏表のない、彼の誠実な性格を彼女らに知らしめるのにも役立っている。
 リトの長所であり短所でもあるその一面をそのまま抜き取ったようなそのセリフに、モモはこみ上げる笑いを抑えることができなかった。
「嫉妬、ですよ」
「え?」
 身内である美柑を除けば、女性への鈍さを含めた彼の性格を最もよく把握している側であるモモは、直接的な言葉を言ってリトを焦らせて楽しむか、婉曲的な言葉を言って戸惑うリトを見て楽しむかを天秤にかけ、結果前者を選んだ。
 組んだ腕を軸にして彼の前方に上体だけ倒し、無意識のうちに頬を染めて彼を見上げる。
 思えばあの花見の日、リトに抱き留められたナナをそのまま二人きりにしておけば、あるいは彼女に恋とは何か、はっきりと自覚させることができたかもしれない。自分はそっと木陰に隠れ、事の推移を見守るべきではなかったかと、今でも後悔している。
 だがそれをしなかった、いや、できなかったのは、ナナを心配する彼の目が自分に向けられていないことに対する嫉妬のせいであったことに、モモは自分で気付いていた。
 邪魔するつもりで出て行って「お邪魔だったかしら」とは、大した愛人もいたものである。
 性格面ではいい意味でも悪い意味でも姉やナナより成熟していると自負していた自分の中に潜むこの醜い感情に、モモは一時のはけ口を求めた。それが今回の植物園イベント主催の動機である。
「さ、行きましょう。今日一日は付き合ってもらいますよ」
「お……おい!」
 リトの腕を自分の方へ引き寄せるように身体をひねって、モモは次なる宇宙植物がいそうなところへ歩き出した。


「ったく、モモのヤツ、そんなにリトと二人きりになりたいならリトだけを誘えっての」
 無邪気に宇宙植物とじゃれあっている姉を遠巻きに眺めながら、ナナはスタート地点に置かれていたモモからの手紙を読み返していた。
 帰りたいなら自分を見つけてみろという挑発的な内容を、モモらしいマイルドな表現に包んでしたためているその手紙の末尾には、リトが今モモと共にあることを伝える追伸が書かれている。
 知りたくもなかった双子の姉の気持ちを知っているナナにとって、その言葉がどんな意味を持つかくらいは容易に推測できた。これをかくれんぼか鬼ごっこの類だと勘違いしてモモの方へと一直線に向かおうとしたララを制したのも彼女である。
 できることなら自分を巻き込まないで欲しかった、それがナナの正直な気持ちである。花見の一件以降常に波立っている自分の心を静めるのに、一人の時間が欲しかった。
「なあ、美柑」
「なに?」
 だが、来てしまったものは仕方がない。そう腹を括って、巨大な植物と戯れるララを若干引き気味の目で眺めている隣の少女に声を掛けた。
「こないだの話の続きしようぜ。今好きな人いるか?ってやつ」
 げっ、と美柑が傍目にも明らかにうろたえる。一旦自分と合わせかけた目を露骨に逸らす彼女に、ナナは首をかしげた。他人の恋愛事情など、春菜とモモのものしか知らないナナは、それが肯定のサインだということに気付かない。
「な、なんで急にそんなこと……」
「え?いや、恋ってなんなんだろうな、って思ってさ」
 底抜けに純粋なナナの問いに、美柑が逸らしていた目を再びナナに向けた。美柑が落ち着いたのを見て取ったナナは、さらに話を続ける。
「姉上、リトのヤツのどこがいいんだろ。あたしにはさ……わかんないんだよね」
 少し嘘をついた。分からなくもない、が正しいところなのに。
 恋の形は人それぞれだとモモは言った。なら、恋とは何かという問いに答えがあるはずがない。それはナナ自身も薄々感じていたことではある。だが、答えではなくても、ヒントが欲しかった。姉が、春菜が、モモがリトに惹かれる理由こそが、最大のヒントではないかと思う。
「うーん、確かに、リトって不思議にモテてるよね」
 前からこうだったわけじゃないんだけど、と美柑は苦笑しながら腰に手を当てる。そこには、誰も知らないリトを知っているという少しばかりの自慢が見え隠れしていた。
「でもさ、私は分かるよ。言葉にはできないけどね」
 美柑はそう言い切ると、にしし、と照れ隠しの笑顔を浮かべた。リトのいいところも悪いところも全部見てきた美柑の言葉には、確かに表しにくい説得力がある。
「ま、ナナさんならきっと分かるよ。焦らずいこう」
 真っ直ぐ自分の目を見つめてそう言う美柑は、不思議と自分よりずっと大人びて見えた。

「さ、おやつにしましょう」
「おやつ?」
「はい。持ってきたんですよ」
 歩き始めて二時間ほど経っただろうか、小さな川のほとりに用意されたベンチを見つけると、モモはそう提案した。
 始めは気が乗らない様子だったリトも、開き直ったのかいつもの柔和な笑顔を浮かべてその案に乗った。小川のせせらぎに春らしい穏やかな陽気、若葉の擦れる音が非日常的な空間に彩りを添える。
 これで時折聞こえる宇宙植物の地鳴りのような足音さえなければそれなりの雰囲気が演出できただろうに、失敗したかな、とモモは可愛いペットたちに悪態をついた。
「お、ドーナツか。そういえば最近食べてないな」
 まあ、リトの表情が明るいところを見ると、そんな些細なことは気にならなくなってくる。元よりこの唐変木にムードを期待するのは筋違いだということは、地球に来て日が浅いモモにもよく分かっていた。
 彼女は決して盲目的にリトを愛しているわけではなく、彼のいいところも悪いところも、自分なりに理解して消化しているのである。
「はい、リトさん。あーん」
 だから彼女は、本来なら恋人同士にのみ許されるこの行為も、リトなら押し切っていけば受け入れてくれると確信していた。
 今なら誰の邪魔も入らない。本質的に受難体質なリトと、何とかして二人きりの時間を作るには、方法はそれほど多くなかった。
「お、おい!自分で食えるって!」
「い・い・か・ら」
 面白いように顔を赤くするリトに向かって、モモはさらに間合いを詰める。あなたが焦れば焦るほどこっちに余裕が生まれるんですよと指摘してやりたいほどの取り乱しっぷりだが、モモにそんな殊勝な心がけはない。
 しかしこの男、破滅的なほどにウブである。自分たちのような恋愛経験の少ない、むしろないに等しい女から見ても時折じれったいくらいなのだから、彼の友人である籾岡リサのような擦れた女性陣から見たら歯牙にかけるにも値しない男であるのかもしれない。
 そんな彼だからこそ、姉や春菜に向いた気持ちを自分の方へと向きなおさせるのはまず不可能であると諦めるしかなかった。
 割り切るには辛いが、割り切れないままでいるほうがよっぽど辛い。どうせ姉と結婚するのだから、その側室として一生を彼に捧ぐのもそれほど悪い選択肢ではないと思えた。
「ほらほら、食べてくれないと、もっと恥ずかしいことしちゃいますよ?」
 そう割り切っていたはずだったのだが、先日の花見でのナナとリトのやり取りは見るに堪えなかった。思い起こしてみれば、リトが自分に対してあれほどに優しい言葉をかけてくれたことがあっただろうか。
 自分の命を狙う殺し屋さえ気遣う彼の心が、セリーヌを介さずに自分に向けられたことは?
 そういう星の下に生まれてしまったのだと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。しかし、残酷なまでのリアリストであるモモは、その現実を受け入れつつも、運命だとかそのような不可視な力には抗わずにはいられなかった。


 だが、観念したリトの口にようやく入ってくれそうなドーナツが触手状の物体に掻っ攫われたときは、さすがのモモといえども心が折れそうになった。
「うわ!なんじゃこりゃー!」
 すかさず二本目の触手が伸びてきてリトに巻きつく。目の前のドーナツを食べることで頭がいっぱいだった彼に咄嗟の反応が期待できるわけがない。
 まさか自分が用意した舞台を、自分のペットによってぶち壊されるとは思いもしなかったモモは、手の中から掻き消えたドーナツの感触を取り戻すかのように手を閉じ、開き、もう一回閉じて拳骨を作った。
 殴るべきなのは邪魔したペットだろうか、そんな子を放った自分だろうか、それともプログラムにまで不幸を持ち込むリトだろうか。
 氷点下に冷え切った心で、一旦母星に戻ってお祓いでもしてもらうべきかしらと、らしくないファンタジックな考えを持った。
 いや、もし本当にお祓いに効果があるのならばそれはリトにこそ施されるべきで、自分ではないかもしれない。
「……はぁ」
 まだ、自棄になるには早すぎるかしら。
 モモは切れると怖い、とはナナの弁だが、今まさにモモは切れていた。
 毎度毎度このような理不尽な展開に持っていかれては、シャワー中にリトが飛び込んできたあの瞬間が自分の妾としてのハイライトとなってしまう。こんなことならサイコロに細工をして自分もすごろくに参加していればよかったとさえ思えてくる。
 モモは腰から例の植物用睡眠薬を取り出し、マジ切れモードの眼で自分に向かってくる触手をいなそうと、手を伸ばした瞬間、
「あ……」
 リトと目が合った。
 モモは切れると怖い、というナナの声が頭の中で繰り返し響く。リトの目は少々テンパっているだけでいつもとそう変わらないものだったが、モモにはひどく怯えているように見えた。
 伸ばしかけた手が中途半端な位置で動きを止める。一瞬の逡巡のうちに、注射器は叩き落され、モモの身体は宙に浮いていた。


「モモっ!」
 殴り飛ばされるかのように宙に浮いたモモの身体は、地面に落下する前に三本目の触手によって巻き取られた。
 そのままモモはリトの目の前まで持ち上げられ、止まる。どうやらこの宇宙植物、ドーナツの穴に触手を突っ込んでフラフープのように回す遊びに興じたいらしい。
 リトは慌ててモモの様子を確認したが、目だった外傷もなく、意識もはっきりしているようで、とりあえずは安心できた。
「すいません、リトさん。私がついていながら……」
「いや、大丈夫大丈夫。それより、なんとかして脱出しないと」
 自身の不甲斐なさにリトと目を合わせられないのか、目を伏せてモモが呟いた。シャワー中に乱入した時さえ動じなかった彼女がすっかり意気消沈しているのを見て、リトは慌ててフォローに入る。
 よく見るとこの植物、触手は三本しかないようである。
 掠め取ったドーナツを持って、この手の植物にお決まりのようなでかい口に運ぶでもなく、リトたちに何か手を出すわけでもなく悠々と戯れているが、いかんせん触手から滲み出る粘液が不快だ。
 リトの脳裏に浮かぶのは、オキワナ星で春菜と共に人面樹に食われそうになったあの光景である。
 植物が肉食とは宇宙の食物連鎖は一体どうなっているのか、自分が胃袋の中に入れば分かるのかもしれないが、さすがにそれはごめん被りたかった。
「リトさん、口を閉じていてください」
 モモがそう言いながら、自由に動かせる右手を伸ばしてリトの肩をつかむと、ぐぐっと触手ごと引き寄せた。
 顔と顔が今にも触れ合いそうな距離まで近づくと、モモの身体についた粘液が光を反射しててかっているのが分かる。魅惑的なその光に吸い寄せられそうな視線を何とか抑えて、リトはなるべく口を開けないようにモモに囁いた。
「なんで?」
「この子、穴を見ると触手を突っ込みたくなる性だそうです」
「……」
 耳が馬鹿になったのかモモが馬鹿になったのか、これは聞こえなかった振りをするのと突っ込みを入れるのとでどちらが正解だろうと迷った挙句、リトは馬鹿なのは宇宙の摂理だと納得した。
 穴があったら入りたいとは日本のことわざだが、宇宙では穴があったら入れたいになるのだろうか。一体何を恥ずかしがっているのか問いただしたいものである。
「男だろうがノンケだろうが関係ないみたいですね」
 面白そうに告げるモモだが、しかし目は笑っていない。確かにドーナツの穴で満足できるなら相手の性別なんて知ったこっちゃないだろう。
 触手の太さを見る限り、どうやら鼻の穴とか耳の穴は無傷で済みそうなのは喜ぶべきところだろうか。些細な幸せもここまで来ると人生幸せだらけである。
「は、早く逃げよう!」
 童貞を捨てるより先に尻の穴の処女を奪われるわけにはいかない。ウブなリトでもその程度の危険は予知できた。しかし、がっちりと巻きついた触手はビクともしない。
 モモもなんとか抜け出そうと手でつねったり、身体を捻ったりしているのだが、なかなか思うように動けてはいないようである。
 くねくねと動くモモの上半身は妙に扇情的だったが、リトはその強靭な理性で劣情を抑えた。

「あの、リトさん」
 何かに思い当たったように顔色を悪くしたモモが、動きを止めてリトに問いかける。
「な、なんだ?」
「リトさん、今この子がやってるみたいに、指先に輪ゴムとか突っ込んでぐるぐる回したりしませんでした?」
 そういえば、小さい頃よくやったな、とリトは回顧する。さすがにドーナツを回したりはしなかったが、遠心力に負けないように指先の回転の調子を上手く調節する感覚はそれなりに手ごたえがあって楽しかった。
 どれだけ長く回していられるかがステータスになるくらい昔の出来事だ。リトはどんなに頑張っても美柑に勝てず、先に輪ゴムが指先から飛んで――
「…………」
 そう、飛んで行くのだ。それは遠心力という力が存在する以上、輪ゴムだろうがドーナツだろうが関係ないわけである。
「あっ」
 モモがそう叫ぶのと同時に、案の定植物の手からドーナツが飛び出した。
 本来ならリトの胃袋の中に収まっているはずだったその円盤は、焦った植物が伸ばした触手よりさらに遠くに飛び、リトたちが座っていたベンチを越え、撥音を残して、小川の中へと消えた。
 触手にさえ捕まっていなければ、食べ物を粗末に扱ったモモのペットを叱る余裕もあったであろう。だが、今のリトたちにとって、触手が一本自由になってしまったということは恐怖以外の何者でもなかった。
「う……うわああああああぁぁ!」
「リトさん!ダメです!」
 ぬっ、と触手が自分に照準を合わせたのを見て、リトは咄嗟に悲鳴を上げてしまった。陰になった口内のその更に奥の暗黒の空間に吸い寄せられるかのように、触手が伸ばされる。
 思わず逸らしかけた頭は、しかしモモの右手によって固定されると、ふわりとした残り香と共に、人肌の温もりに包まれた。
「え……?んんっ!?」
「んっ……」
 驚きに目を見張ったリトの眼前には、目を閉じたモモの顔があった。額をくすぐる彼女の前髪に、自分たちが何をしているのか教えられる。そうして自覚した数瞬後に、唇同士の触れ合う温かく柔らかな感触が伝わってきた。
 上唇にかかる彼女の鼻息がこそばゆい。リトは脳が爆発したかのように顔を紅くして戸惑いかけ、すぐに、モモが自分を庇って唇を捧げてくれたのだと気付く。
「ん……ちゅ、ぷはっ。…………もう、ダメじゃないですか」
 またすぐに口付けられるよう、鼻と鼻の先を触れ合わせるようにしてモモが唇を離した。言葉の上では責めているように見えて、それほど気にしている様子がないモモに、かえってリトの罪悪感を膨らんでいく。
「モモ……。その、ごめん」
「ふふっ、気にしてませんよ。プログラムの中ですし、ノーカウントです」
 だ・か・ら、と、モモが甘い吐息と共にリトの首に改めて手を回した。アルコールのようなその香りに中てられて、リトの顔が再び熱を帯びる。
「今度はリトさんの番ですよ。……私の初めて、全部もらってもらいますから」
「え……」
「プログラムの中とはいえ、一応初めてなんです。せっかくリトさんが目の前にいるのに、植物なんかに奪われたら私、一生後悔しますよ」
 さっきと言っていることがまるで逆である。納得するには無理がある論理だが、否定することもまたできない、それだけの思いが込められていた。
 言い返すことも、言うとおりにすることもできない。その躊躇いが優しさではないことを知りつつも、リトは次なる行動に移れなかった。
「手は使えますか?」
「え……、あ、ああ」
 おずおずと差し出したリトの左手に、モモは自分の尻尾を握らせた。ほんの少し指先が擦れただけで微かな嬌声を上げるモモに、頭で否定しても身体が反応してしまう。
「本当はもっとゆっくり愛し合いたかったんですけど、時間がなさそうですから。お願いします、リトさん」
「……分かった。ごめんな」
 誰に謝ればいいのか分からない。ただ、自分なりにいつか来るんじゃないかと思っていた日がとうとう来てしまったんだな、とリトは余裕のない心でそれだけを察知した。
 彼にとって幸運だったのは、相手が愛人という立場に理解のあるモモであったこと、そして彼女が哀願するという形でリトに理由を与えてくれたということだったが、リト本人はそこまで考えが回らなかった。

「あっ……」
 リトは手に置かれたモモの尻尾を軽く口に含んで湿らせると、遠慮がちに上下に扱き出した。植物の粘液で高まった性感を改めて刺激されたことで、モモが身体をよじる。
 嬌声で微かに開きかけた口を思い出したように塞ぐ。モモのそんな様子に気を良くしたリトは、尻尾をいじる手の動きをより大胆にした。
「くっ……はっ……」
 リトとの距離を維持するため、首に回した右腕を離すわけにもいかないモモは、上下の唇をきゅっと結んで快楽に耐える。二人の妖艶な雰囲気に飲まれ、呆けたように動きを止めている植物が目的を思い出す前に、モモの準備を終わらせばならない。
「モモ……」
 自分にできることは全てしてやらねばならない。彼女の記憶に一生残る男としての責任、それを考えられないほど強靭な理性で理解し消化したリトは、持てる精一杯の知識と優しさでモモに口付けた。
 驚いたモモが一瞬身体を硬直させた隙に、彼女の口内に自分の舌を差し込んで、そっと歯の先を小突く。
「ふむっ……、はっ、はぁっ……」
 すぐにリトの意を察したモモが、リトの舌の動きに応えるように自分の舌を伸ばした。技術も何もない、単なる粘膜同士の接触。それなのに、もっと長く、もっと深く触れていたくなる。
 舌は、舌同士が触れ合って初めて性感帯となる。気が狂いそうな未知の感覚に、二人して頭が真っ白になった。
「……っはぁっ!リトさん!リトさんっ!」
「モモっ!……んっ」
 もはや自分たちの状況を省みる余裕を失った二人は、息継ぎのために離れるや、すぐに再び唇を合わせた。リトの手は愛撫を忘れ、ただ尻尾を握るだけとなってしまっている。一つの行為にしか集中できない浅い経験の中で、しかし、リトの瞳はモモだけを見ていた。
 望外のタイミングで欲しかった眼差しを向けられたモモの身体が歓喜に打ち震える。痙攣しているかのように喉と両脚を震わせるモモを見て、リトはただでさえ消えかけていた理性の灯火が吹き消されそうになるのを感じた。
 一方、リトの身体自体にも限界が近づいていた。緩めの作りのズボンを下から押し上げるように膨らむリトの怒張は、キスの感覚だけで先走りを迸らせている。心にも身体にも余裕がなくなったリトは、モモの股間にがむしゃらに右手を伸ばした。
「んんんんっ!」
 ショーツの生地がずらされ、秘所が冷たい空気に晒される感覚。そこに火傷させるかのように熱を帯びたリトの指が触れる感触に、モモは思わず身体を反らせた。動きを制限する触手は、二人にとってすでに非常識な空間を演出する一背景でしかない。
 リトの指が優しくモモの秘唇を解きほぐしていく。残された余裕をすべてモモのために捧げるかのようなその熱い愛撫は、彼女の心も同時に溶かしていくかのようだった。
「あっ!はっ、あんっ!」
 モモに力が入らなくなったことを感じたリトは、離されないように自分の左腕を彼女の首に回す。愛撫と愛撫の間に軽いキスを挟みながら、リトはモモの反応に合わせて指を動かしていった。
 モモもモモで、一方的に愛撫を受けるつもりはないのだろう。飛びそうになる意識を何とか保って、解放された右腕をリトのズボンへと向けた。
 痛々しいほどに窮屈なそれを上からそっと撫でてリトの動きを制すると、ぎこちなくジッパーを下げてリトの怒張を取り出し、粘液にまみれたその先端をこねくり回す。
「くあっ!モ……モっ!」
「ふふ、リトさんも気持ちよくなってくださ……ひゃあっ!?」
 予想以上のリトの反応に、今度は自分が主導権を握ろうと攻勢に出たモモだったが、負けじと指の動きを激しくしたリトによって中断させられてしまう。
 愛人でいいと言い切るモモは元より、リトも自分の快楽より相手への奉仕を優先する類の人間である。何となく、自身の相手への思いを問われているような気がして、二人は一層愛撫する手の動きを強めた。
「はぁっ……、リ、リトさん、ちょっと落ち着いて……んああぁっ!」
「モ、モモこそっ、もうちょっとっ……くっ、優しく……」
「リトさんほど、激しく……あっ、ないですっ」
 既に本来の目的など頭の片隅にも残っていない二人は、互いを挑発し合うように愛撫を激しくしていく。
 不慣れな他人の手による愛撫は、次の動きが予測できないというただそれだけで、大小複雑に入り混じった快感の奔流を無遠慮に送りつけてくる。二人はその流れに溺れながらも、何とか相手も同じ所へ連れて行こうとその手を動かし続けた。
 互いの手のひらの中で粘液がその量を増して卑猥な音を立てる。互いの指先が互いの性器に融けて一つになったかのようだった。

「くっ……、はっ、ぐあっ!」
「んっ、ちゅっ……、はぁっ!リトさんっ!」
「っ……、モモっ!もうダメだっ!」
 弾かれるように二人が身体を離す。快楽の頂点の寸前で手を離されるのは名残惜しかったが、ここで達するわけにはいかないのは二人の共通認識だった。
 指先にまとわりついたモモの愛液を眺めて、リトは唾を飲み込む。文字通り地に足の着いていない状態で迎える初体験はどこか現実感がなかったが、ここまで来てしまったら覚悟を決めるのはそう困難なことではなかった。
「モモ……いくぞ」
「はい……」
 モモの目をしっかりと見つめて最後の確認を取ったリトは、逆に上気して潤んだ彼女の瞳に吸い込まれそうになった。
 身体に巻きついた触手が若干邪魔に感じたが、何とかモモへの入り口を探し当てると、少し前後させてなじませたあと、軽く押し当てる。それがモモへのメッセージとなり、彼女の身体を強張らせた。
 大丈夫です、と虚勢を張るモモがたまらなく愛おしい。そんな彼女の緊張をほぐすように一度口付けて、リトは一気にモモの中へと侵入した。
「……~~~っ!」
「うおっ!?」
 よくほぐれたモモの秘所は大きな抵抗を見せることなくリトを飲み込む。互いの発する熱量の大きさに火傷しそうな性器を押し付けるように、リトはモモの小さな体をかき抱いた。
 一滴、二滴と涙を零すモモの頬にありったけの気持ちを込めて何度も口付けを繰り返し、余裕がないながらも何とかモモの痛みを取り除こうと彼女のクリトリスをこねくり回すリトの姿は、まさしくデビルークの後継に相応しき姿だった。
 自ずと動き出しそうになる腰を精神力で押さえつけ、律動するモモの膣内の感触をゆっくり味わう。結城リトという男が一人の女の子の思い出の中に永遠に刻み込まれる瞬間を、彼自身も一生忘れまいと心に誓った。
 リトの努力が実ったのか、細かかったモモの息継ぎの間隔が元に戻りつつある。リトにキスをせがみ、じれったそうに太ももを擦り合わせるモモの様子を見て、彼はゆっくりと腰を動かし始めた。
「ん……」
 二人の唇の間から、微かな声が漏れる。思っていた以上に早くリトに馴染んだモモの身体は、案外リトと相性がいいのかもしれなかった。
 我慢の限界を迎えつつあるリトが加速する。耐えに耐えた彼の怒張はひどく痺れていて、快楽というより、熱と粘液によるモモとの一体感が強く伝わってくる。
 二人の意識は重力から解放されたような浮遊感に襲われ、自分が今何をどう動かしているのか、どこからどこまでが自分の身体なのかわけが分からなくなっていた。
「リ……ト、さんっ!あっ!」
「モモっ!」
 この一体感は、あるいはプログラム世界の中だからこそ得られるものなのかもしれなかった。モモの熱が伝わる全ての箇所が溶け出すような錯覚に身を委ね、リトはモモを高めることに集中する。
 自分の決壊はもう近い。互いにそう悟ったのか、二人はなんとか相手を連れて行こうと、動きと密着度を高めていった。
 唇、肩、腕、腰、脚と、触手に覆われていない全ての部分を少しでも広くひっつけ合う。膣内でも、できるだけ奥へ、奥へと進もうとするリトを、モモが進んで迎え入れていた。
 モモの膣の痙攣が激しくなる。リトの怒張が一回り膨らむ。互いの限界のサインを感じ取った二人は、最後にひときわ奥で互いを触れ合わせて、達した。
「くぅっ!」
「っ、あっ、ああああああああああああああっ!!」

 脱力した二人の体が、触手から解放された。何故か手を出してこなかった自分のペットに違和感を覚えつつも、モモはそのことに感謝せずにはいられなかった。
「っ、ててて。大丈夫か、モモ?」
 まだ自分の奥に残る熱い塊に身を震わせながら、モモはリトに大丈夫だと答えた。まだ寝起きのように霞む頭を何とか動かして、植物の方へと向き直る。
 この事件の元凶たるその物体はといえば、怒りか驚きか、とにかく身を打ち震わせてその場に佇んでいた。
 逃げようにも膝に力が入らない。何とか動けそうなリトも、モモを抱えて走ることは難しそうだった。
 庇うようにモモの目の前に移動したリトの動きに反応したのか、植物が口を開く。その言葉は驚きに満ちていたが、それを耳にしたモモの方が腰を抜かしてしまいそうだった。
『知らなんだ……。人間ってあんなところにも穴があるのかい……』
 あんなところと言ったそのペットが見つめているのはモモの股間である。落ちた拍子に上手くスカートの中に隠れたので直視されたわけではなかったが、モモは別の意味で恥ずかしくて死にそうだった。
「え?なんて言ったんだ?」
 目の前の植物から殺気が感じられないのを見て呆けているリトがモモの方を向いて尋ねた。だが、植物はそんなリトを触手でびしっと指差すと、
『穴を貫く者として今回は負けたけん、次はないかんな!』
 と、捨て台詞を残して去っていった。
 果たして、それこそ穴があったら入りたいのはモモのほうである。
 本気で誤解していたとはいえ、貞操の危機と煽りまくってリトの初体験を奪ってしまったのは紛れもない事実なのだから、なんと言い訳しても笑えない展開になるのは必至だった。
 口封じにあの植物を消すべきか、と不穏なことを考えながらも、モモは呆けていて聞こえなかったと適当に取り繕って、ベンチに置きっぱなしだったバスケットを持ってきた。
「服が汚れちゃいましたから、一旦戻りましょう。ね?」
「え?あ、ああ」
 バスケットからリモコンのようなものを取り出すと、モモはそそくさと帰宅ボタンを押した。周りが一瞬光に包まれ、粘液の不快な感触が服から消える。
 リトも無事戻ってこれたようだった。このままではナナたちが帰る術がないのだが、さしあたって大切なのはお互いの心のケアであることをモモは解っていた。
「あ……」
「うっ……」
 自分の股間を押さえて、二人がほぼ同時に同じような反応を示す。プログラム内だから現実の初体験には影響がないものの、確実に脳が興奮していた証が、お互いの下着に染み込んでいた。
「は、ははは……」
 行為時の振る舞いはどこへやら、リトが気まずそうに後頭部を掻いた。すぐに逃げ出さない辺りが彼の最後の良心かもしれない。

「あの、リトさん」
 その選択を、彼はすぐに後悔することになる。体内に残った燃えカスのような熱の残滓に中てられたモモは、リトの腕をぐっとつかむと、自分の方へ引き寄せた。
 先刻の行為では触手に隠れて触れられなかったモモの乳房の感触がリトに伝わる。不覚にも反応してしまったリトを見てにやりと微笑んで、モモは自論を展開した。
「私、二度も破瓜の痛みを経験しなきゃいけないなんて理不尽だと思うんです。男の人には分からないかもしれないですけど、あんなに痛いこと滅多にありませんよ。
だからこのまま時間が経つと、どんどん破瓜が怖くなって、最終的に経験できなくなるかもしれないじゃないですか。だ・か・ら、」
「だ、だから?」
 自分でもむちゃくちゃな論理だと思ったが、今のリトにそれを看破するだけのゆとりはない。自分の誘いに顔を真っ赤にしてたじろぐリトを見て、モモはこのまま押し切れると確信した。
「だから、もう一度、今度は現実で、私の処女を奪ってください」
 元よりモモはリトと肌を重ねたことを誰かに言うつもりもないし、それをネタに彼に恋人としての関係を強要するつもりもない。抱かれていたときの、自分だけを見てくれるあの感覚。それが欲しくて、モモは再びリトを求めた。
 現実世界で処女である限り、何度プログラム世界に飛び込んでも自分の身体は処女である。今回のようにリトと二人きりの時間を作ろうとプログラムを組む際に、処女は障害でしかないとモモは割り切った。
 今、リトを押し切れるかどうかで、これからの二人の関係が大きく変わってくることを敏感に察知したモモは、普段よりも更に強めのアプローチに出る。
「責任とって、なんて言いませんから。リトさんに初めてを捧げられるだけで……」
「モモ」
「え…………?んっ!?」
 演技という仮面で本音を包んで伝えようとした彼女の言葉は、しかし、リトの唇によってあっさりと遮られた。いつになく積極的な彼にあっけに取られているうちに、いつの間にかキスは終わっている。
「俺だって覚悟を決めたんだ。責任もちゃんと取るし、どんなことにも付き合うからな」
 大きな手で優しく包まれた両肩から、さっきとは別の類の熱が伝わってくる。真摯な瞳に射竦められたモモだったが、小さく「バカ」と呟いたあと、穏やかに微笑んでリトの頬を撫でた。
「大丈夫。無理してるわけじゃないんです。ただ、あなたの重荷にはなりたくないだけ」
「重荷って、そんなこと……」
「じゃあ、お願いします。私のこと、もっと知ってください。リトさんのこと、もっと教えてください。これからのリトさんの時間を、少しだけ私に頂けますか?」
 それが、モモにできる精一杯の譲歩だった。リトが自分を見てくれない日々は確かに辛かったが、リトが自分に縛られる日々のほうがよっぽど辛い。
 冷静になって考えてみると、互いの初めての人となることで、互いの足にはめ合ってしまった枷はもう外れないのかもしれない。
 自分の初めてはそれほど重要ではないが、自分がリトの初めてになるべきではなかったかもしれない。今は覚悟を決めたといっても、いつかリトがそのことを重荷に感じる日がやってくると、モモは信じて疑わなかった。
 しかし、同時に、リトと一緒に一生背負い続ける罪を生んでしまったこと、それを心のどこかで喜んでいる自分もいるのだ。
「……分かった。もしモモのことをもっとよく知って、俺が、個人的に責任を取りたいって感じたときは、改めてお願いするよ」
「リトさん……」
 普段は鈍感なくせに、肝心なときには人の意を十二分に汲んでくれる。ああ、この人を好きになってよかった、と痛感した。
 惚れ直したと言えばいいのか、落とされたと言えばいいのか、最後まで自分の目を見て言い切ってくれた彼に、モモは抜け出せないほどどっぷり漬かってしまったことを知った。
「……でも、今処女を奪ってもらうのは規定路線ですからね♪」
「え、ええええええ!?」
「まずは、あの日叶わなかったシャワーに行きましょう!」
 メロメロになっている状態でなお、セクハラまがいにリトを振り回すモモは、良くも悪くもララの妹に違いなかった。

「ったく、モモのヤツ、六時間近く放置するなんて何考えてるんだか……」
 何があったのかは知らないが、モモとリトは充実の時を過ごしていたらしい。思い出したかのように彼らが迎えに来てくれたのは、日もどっぷり暮れた頃だった。
 半ギレ気味の美柑が二人に夕食抜きを宣告しようとしたが、一人楽しんでいたララの説得によって妨げられ、心ならずもこしらえられた夕食の完成を二人に告げるため、ナナは文句を言いながら階段を上っていた。
 二人の間に何があったのか知らないし知りたくもないが、動物的な勘が鋭いナナには、何となく二人の纏っている雰囲気が変わったことに気がついた。
 美柑あたりに助言を求めればその実態を明らかにしてくれるかもしれないが、聞いたら聞いたですっきりしないに違いないと思うことにする。
 元々好奇心が旺盛な方のナナが知るのを躊躇うのは、何か別の願望が働いているからに違いないのだが、彼女はまだその正体を知らない。
 そもそもリトが悪いのではないかと根拠もへったくれもないこじつけによって自分の心を整理して、ナナは親の敵でも見るかのようにリトの部屋の扉を睨みつけ、乱暴に開け放った。
「おいリト!飯ができたって美柑が……」
 不機嫌を顔に貼り付けたかのような表情で部屋に入ったナナの目に飛び込んできたのは、いつぞやの花見の朝のような格好をしたモモの尻だった。
 下着の上にリトのワイシャツを羽織っただけの姿のモモは、鼻歌を歌いながら、リトのベッドの上に寝転がってファッション雑誌を読んでいる。
 一方のリトは、床に腰掛け、モモの頭近くでベッドの脇に寄りかかりながら、マンガを読んでいた。
「おう、ナナ。呼びに来てくれてありがとな」
「あ、リトさん。この服なんかどうでしょう」
「ん?どれどれ」
 モモが肘で身体を動かしてリトの傍に寄ると、リトも雑誌を覗き込むように体勢を変えた。その絵はさながら同棲に慣れてきた頃のカップルのようである。
 モモは大人っぽいんだからゴスロリ服はちょっと、などとアドバイスするリトの姿にえもいわれぬ感情を抱いたナナは果たしてどこから突っ込むべきか悩みつつも、自分と二人との間に厳然と横たわる世界の違いを感じ取っていた。
 もしかしたら自分も向こう側の世界の住人になってしまった方が楽なのかもしれない。
 恥を承知でモモに頭を下げてみようかとまで考えたナナは、いや、自分がそうなってしまったら間違いなく美柑が心労で倒れるだろうと思い直し、いつものように、いつものようにと言い聞かせながらリトにヘッドロックをかけ、叫んだ。
「なに、モモに自分のシャツ着せてんだーっ!!」