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「―――じゃあ、ホントにいいんだよな?」
「ええ…。いいわ」
唯の白い喉がコクンと音を立てた
白い頬は見つめられる時間の長さだけ、ぽぉっと熱くなっていく
いつにもまして真剣なリトの目に吸い込まれそうになるのを唯は、グッと踏みとどまりながら、リトの視線を真正面から受け止める
(私…私…)
胸がトクン、トクン、と心地いいリズムを奏でる
そっと手で触れると、よりはっきりと手の平から胸の音が伝わる
唯の瞳の表情が、夢見るようなとろんとしたモノになっていく

 

「…古手川」
「結城…くん」
「古手川」
「結…城っ…くん…」
名前を一つ呼ばれる度に体から力が抜けていく
長い睫毛が揺れ、黒い瞳が濡れる
(私…私…今から結城くんと…)
華奢な両肩に置かれたリトの両手にわずかな力がこもり、唯は小さく息を呑む
「へーきか?」
「え、ええ…」
「ムリならさ…」
「やッ」
唯は反射的にリトの制服を握りしめた

「ちゃ…ちゃんと最後までしてくれないとイヤッ」

その声の強さとは裏腹に、瞳は不安でいっぱいに揺れている
制服を握りしめる手もかすかに震えている
リトは唯の肩から手を離すと、震える手にそっと自分の手を重ね、キュッと握りしめた
そして、いつもの笑顔を浮かべると、少しだけ顔を寄せた
「……ッ」
唯の胸の音がまた一つ大きくなる
リトの手のぬくもりを感じながら。真っ直ぐな視線を浴びながら
顔がどんどん熱くなっていくのを感じながら、ゆっくりとリトと同じ距離だけ顔を寄せた
 
ドキ、ドキ、ドキ、ドキ、ドキ――――
 
二人の顔の距離はお互いの睫毛の先が触れ合うほど

 

鼻先を吐息でくすぐられながら、唯はジッとリトの顔を見つめ返す
すぐ目の前にある大好きな顔
赤くなった頬に、いつもより少し、ほんの少しだけカッコいい顔を浮かべながら
自分と同じ気持ちで、同じ想いの強さで、同じ様に見つめ返してくれるリト
 
ドキ、ドキ、ドキ、ドキ、ドキ――――
 
もう手で触れなくてもはっきり聞こえる、胸の音
(結城くんの音も聞こえる…)
リトと唯の胸の音が重なり、溶け合っていく
いつの間にか、腰に回されていたリトの腕にわずかな力が入る
唯はその力に導かれる様にして、半歩リトに体を寄せた
「あ…」
吐息の様な声が一度こぼれ
唯の唇がリトの唇に触れ…――――

 

 

「やんっ…」
と、素っ頓狂な声を上げながら、唯はガバッとベッドの上で跳ね起きた
「はぁ…は…ぁ…はぁっ…」
汗の珠が頬から首筋を伝い、胸元へと落ちていく
ぐっしょりと濡れたパジャマに、なぜかドキドキとうるさい胸の音
「何…なの…」
胸に手を当てて息を整える間、唯は部屋を見回した
まだ真っ暗な部屋には、自分の乱れた息遣いと、時計の針の音だけ
枕元にあるネコの目覚まし時計の針は、深夜の三時過ぎを差している
少しずつ唯の頭の中がクリアになっていく
そして思い出す。さっきまで見ていた夢の内容を
「わ…私ったら何てハレンチな夢をッ!?」
思わず両手で押さえたほっぺがヤケドしそうなほど熱くなる
わなわなと震える肩同様、パクパクと震える口でなんとか言葉を紡いでいく

 

「わた…私…結城くんとき…き…きき…キスしようと…ッ!?」
言葉はもう続かない。それ以上、唯には言えなかった
だから代わりにいつものあの言葉を叫ぶ
「は、ハレンチなーーッ!!!」
深夜の古手川家に唯の声が響き、そして、唯の物語が始まる
 
翌日。彩南高校。放課後の夕暮れの教室内
 
「―――っと、コレで最後だよな?」
「ええ。そうよ」
 
本日、日直に当たってしまった唯とリトの二人は、放課後残って、教室の掃除をしていた
一か所に集めたゴミを箒と塵取りで集め、ゴミ袋に入れ、あとはそのいっぱいになったゴミ袋を焼却炉まで持って行かなくてはならないのだが――――

 

 

「よし…っと! じゃー早く下に持って行こうぜ」
「あなたは日直ノートをお願い。コレは私が下に持っていくわ」
「え? いいってオレが持っていくって! 古手川がノート書いてくれよ」
「いいわよこれぐらい。お構いなく…。貸して」
「え、あ、ちょ…」
ゴミ箱をリトの手から奪うと、唯はゴミ袋の端をキツくキツく結んでいく
「一年の時は、私がずっとしてた事だし。それに…」
「それに?」
「……」
唯は言葉を切ると黙ってゴミ袋の結び目をさらにキツく結ぶ
本当は力仕事なんて苦手だし、こういう時は、素直にリトに頼るのが一番なのだと、心の中でそう言っている自分がいるのだが

 

(だからって…)
唯はチラッとリトに視線を送る
ほっぺを掻きながら一人納得いかなさそうなリトの視線に、人知れず顔が熱くなっていくのを唯は感じた
昨日の夜、見た夢の内容が頭の中を駆け巡る
(うぅっ…)
リトを好きになってからというもの、リトを意識しない日なんてない
そればかりか、日に日に強くなっていくリトへの気持ち
「手伝って」「一緒に持っていきましょ?」「結城くん、お願いするわ」
こんな簡単な言葉すらかける事にも躊躇ってしまう
甘えたり、優しくしてもらうなんてもっての他なのだ
唯は黙々とゴミ袋の端を結んでいく
(そ、そうよ! だいたい、これぐらい私ひとりでも十分なんだから)
結び目と同じぐらい、自分の気持ちを固く結ぶと、唯はゴミ箱からゴミ袋を引っ張り上げる

 

「ん~~…! よい…しょっとっ!」
「お、おい。ホントにへーきなのかよ!?」
「へ…平気だって言ってるでしょ! 結城くんは、言われたとおりにノートを書いてて! これは私が…」
と、言いながらいっぱいに詰まったゴミ袋を持ち上げようとした時、ふいに唯の足がもつれ、バランスを崩してしまう
「キャ―――!?」
「あぶねッ!!」
床を踏み出した音と、リトの声を聞きながら、唯の視界が暗転していく
「…んっ…!」
ドン、と硬くて少しやわらかい感触が背中に当たり
唯は思わず瞑ってしまった目をゆっくりと開いていく

 

薄く目を開けると、まず飛び込んできたのが、床に投げだされたゴミ袋。そして――――
「へーきか? 古手川…」
「え…?」
唯は目をパチパチさせた
自分の腰に回った意外なほど力強い腕と、背中に当たる温かくて少し固い感触
「えっ…」
夕日が射す教室の真ん中
リトに後ろから抱き締められながら、唯の顔が夕日色に染まっていく
(こ…これってもしかして…)
時が止まったかの様に硬直する唯に、リトは怪訝な顔を浮かべると、肩越しに声をかける
「古手川? ホントにだいじょーぶなのかよ? ……古手川? おいって!」
リトの息が唯の髪を微かに揺らし、耳元に吹きつける
「!!?」
思わずおかしな声がでそうになるのを、唯は喉の奥に無理やり呑み込んだ
そして、再び目をギュッと瞑る
(こ…こ…こんなっ…こんなのって…)

 

顔の温度が沸騰寸前まで上がり、肩が小さく震え始めた頃、唯は奥歯を噛み締めた
そして、腕に少しずつ力を込めていく
「……いつまで…」
「え?」
「いつまで抱きついてんのよ!? ハレンチなッ!」
「うわっ!?」
唯はリトの腕を振りほどくと、そのままリトを突き飛ばした
「な、何だよ?」

 

「何だよじゃないわよ!? 散々、人の胸さわっておいてよく言えるわね? 結城くん…!」
「ムネ…? え、ぁ…そーいや…」
そう言いながら何気なく触れた腕には、ムニュっとした柔らかい感触と、唯のぬくもりがまだ残ったまま
リトの顔がみるみる赤くなっていく
「ち、違っ…! あ、あれはワザとじゃねーって!! そんなつもりで…」
「……ッ」
身振り手振りあわあわと大慌てで言い訳を始めるリトを、唯はジト目で睨みつける
しばらく情けない言い訳を聞いている内、唯は小さな溜め息を吐いた
そして胸のあたりで腕を組むと、ツンと明後日の方に顔を向ける
「―――…も、もういいわよ」 
「へっ?」
「もういいって言ってるのよ! その…さっきは一応……助けてくれたみたいだしね。だからその……あ…ありがと…!」
「古手川…?」

「……っ」

相変わらず顔はぷいっと逸らしたままだし。口調だって珍しく歯切れが悪い
それでも、風で揺れる長い髪の間から見える少し赤くなっている横顔に、リトはふっと堅くなっていた表情を崩した
「オレの方こそ悪かったよ。気づかなくってさ」
「……」
「…ゴミ捨て、やっぱオレがやるよ! 古手川は残ってノート書いてくれ」
「―――ええ。わかったわ」
ポソっと呟くと、唯は早歩きでリトの横を通り過ぎていく
その時、ふいに二人の目が合う
「ん?」
「…ぅッッ!?」
さっきよりも強烈な勢いでツンと顔を逸らすと、唯はそそくさと机に向かった
「何だ?」
机に座るなり、黙々とノートに向かうその後ろ姿にリトは首を捻る
しばらくボケっとしているリトに唯の鋭い声があがる

 

「早く行きなさいよ! 何してるのっ!? 下校時間、過ぎちゃうじゃない!」
「わっ! ゴメンッ!」
慌てて教室を飛び出す物音を背中越しに聞きながら唯は、小さく溜め息を吐いた
窓から吹き込む風がパラパラとノートを捲っていく
唯は真っ赤に染まる窓の外を眺めながらぽつりと呟いた
「―――…バカ」
それは誰に向けての言葉なのか?
すっかり静かになった教室に、唯の溜め息がまたこぼれた
 
 
「―――それじゃ、戸締りは大丈夫よね?」
「ああ、バッチリだぜ」
唯は教室に鍵をかけると、日直ノートを手に歩きだす

 

隣にはリト
放課後の夕暮れの廊下を、夕日の赤と、伸びた影の黒のコントラストが、いつもの風景を少し不気味に見せる
「うっ…」
小さく呻いた唯の体が自然とリトに寄ってしまう
何気なく隣を見ると、少し頼り気ない横顔が唯を出迎える
 
『オレ…オレ、好きだ! 古手川のことが』
 
あの日、雨上がりの帰り道でリトはそう告白した
まだまだあどけない少年の顔を、少しだけ男の子の顔に変えて
言葉に詰まりながら、だけど一生懸命に、カッコわるく、想いを伝えてくれた
その時の声も言葉も、仕草も表情も、みんなみんな覚えている
雨上がりの匂いと一緒に

 

そんなほんの少し前のことを思い出しながら、唯はまた少しだけリトに体を寄せた
今度は怖いからではなくて、自分の女の子心に少しだけ耳を傾けてみた
会話はなく。廊下には二人の足音と影だけが生まれる
歩くたびにゆらゆらと揺れる影は、まるで手を繋いでいるかの様で
そんな影達に唯の胸が小さく音を立てた
「あのさ、古手川」
「えっ」
急に話しをふられた事に唯は、叫びそうになる自分をなんとか押しとどめる
少し間を置く様にして、一拍後、上ずった唯の声が応える
「…な、何よ?」
「ああ。あのさ、今日ウチに…」
「お~~い!」
リトの言葉を遮る様に、廊下に明るい声が響き渡る
二人は互いの顔を見合わせると、声のした方向に視線を向けた

 

廊下の真ん中、階段の踊り場
そこにはいつものよく知った顔が元気に手を振りながら、こちらへと駆け寄って来るところだった
「リト~。唯~」
「ララさん!?」
ララは二人の前に急停止すると、息一つ乱していない顔で、ニッコリと天使のような笑顔を浮かべた
「よかった! やっと見つけた!」
「よかったってお前、帰ったんじゃなかったのかよ?」
「うん。実はまだおつかいの途中なんだ。美柑がね、リトがまだ帰ってないってゆーからひょっとして…とか思ったんだよ」
よくよく見ると。ララは制服ではなく普段着だし、手には買い物袋を提げている
「だからってあなたね、今何時だと思ってるの? 用もないのに学校に入るのは禁止されてるのよ! だいたい制服も着ずにいったい何考えてるの?」
早速、指をビシッと突き付けながらお説教を始める唯に、ララは舌をチロっと見せながら笑った

 

「エヘヘ、ごめんね唯」
「まったく! いい? 今後同じ様なマネをした場合…」
「あ~…えっと、古手川」
「何よ?」
話を無理やり中断させられたことに、唯の鋭い視線はララではなくリトに向けられる
突き刺すような視線に顔を青くさせながら、リトはなんとか話の矛先を変えようと、必死に言葉を探した
「そ、その…ほら、このままだとオレたちまで下校時間破っちまいそーだしさ。そろそろ帰ったほうがいいんじゃ…」
「むっ」
「え…」
なぜかいつもよりキツイ感じのする唯の視線に、リトは内心、冷や汗でぐっしょりとなり、ララはその横で一人キョトンとなる
「お…オレ、何か気にさわるような事言った?」
「……」
「古手川?」
その目に何か言いたげな気持ちをたっぷりと込めたまま、唯はぷいっとそっぽを向いた
そして腰に手を当て軽く溜め息を吐く

 

「…別に何でもないわよ! ま、ララさんのことは、今回は大目に見てあげるわ! なんだかうまく乗せられたような気がするけどね…!」
「ははっ…」
やっと唯のジト目から解放されたリトは、思わず安堵の顔を浮かべてしまう
そんなリトの横顔に、また、唯の何か言いたげな視線が突き刺さる
いつもよりジト分が多いジト目に、唯のほっぺも少し膨らんでいる
もごもごと口の中で何やら話す唯の傍らを通り抜け、ララが二人の間に飛び込んでくる
「じゃあ、じゃあ、唯、今からウチにおいでよ!」
「え?」
「今日は、美柑がすっごくおいしいゴハンを作ってくれるみたいなんだ♪ リトの大好物みたいだよ」
「へー!」
大好物の部分にリトの顔が輝く
ララは唯の腕に抱きつくと、ニッコリ笑いながら顔を寄せる

 

「ね、ね、唯もおいでよ、ね!」
「ど、どうして私まで行かなきゃいけないのよ!」
「どうしてって……む~…リトも何とか言ってよ!」
「オレッ!?」
自分の顔を指さしながら、リトは唯とララ、二人の顔を見比べる
またオレかよ…、と苦い顔になるリトに、唯とララはそろって顔を近づけた
「リト! お願い!」
「結城くん、わかってるわよね? 女子を家に誘うとかそんな不純な事、許されるはずがないんだからねっ?」
「いや…その…」
二人の圧力に中々、思うような言葉が出てこない
リトは思いつくままに声を上げた
「え…えと…こ、古手川。ウチに来いよ! その、美柑のヤツもきっと喜ぶと思うしさ」
「リト!」
「ちょっ…もぅ! 何考えてるのよ結城くん!」
「ははは…」
ララの腕を振り解きながら厳しい目付きで詰め寄ってくる唯に、リトの頬に冷や汗が流れる
「はははじゃないわよ! いったい何を考えてるのってきいてるのよッ!?」
「うっ…」
ムッと睨んでくる唯の迫力に、リトの顔から血の気が引いていく
(や…ヤバッ! 古手川のヤツ、本気で怒ってる!?)
「結城くん!」

 

「ほ、ほら、せっかくララも誘ってるしさ! 古手川が来てくれたら、ララのヤツ喜ぶし。も、もちろん、古手川が何も用事がなかったらだけど…」
「何よそれは…」
「や、やっぱダメ…?」
「…ふん」
唯はリトからツンと顔を背けると、ぼそっと消え入るような声で呟いた
「…ララさんばっかりじゃない」
「え?」
窓から吹き込んだ風が唯の声もリトの声も消し去ってしまう
風で揺れる髪を押さえながら窓の外を睨みつける事、数秒
唯は胸のあたりで腕を組むと、チラチラとリトの横顔に視線を送る
「古手…川?」
「仕方ないわね…」
「え…」
「…もう、何度も言わせないでよね」
唯の頬に夕日とは違う、別の赤が射す
「い、行ってあげてもいいかなって思ったの…。その…結城くんの家に…」
リトは目を瞬かせながら、頭の中で唯の言葉を反芻させる
「…………え? …マジで?」

 

言いながら、やっと唯の言った事が理解できたのか、ほころび始めるリトの顔から唯は、ツンと顔を遠ざける
「へ…変なカンちがいしないでよね! 言っとくけど、家にいくっていっても、あなたのためじゃなくて、ララさんの誘いなんだからっ! だからその…」
夕日よりも赤くなった顔でぼそぼそと話す唯の背後から、明るい声と共に、ララが抱き付く
「唯~!」
「えっ…何…!?」
ガバっと後ろから唯に抱き付いたララは、本当にうれしそうで、その誰よりも明るい笑顔を唯のほっぺにすりすりさせる
「ちょ、ちょっと!?」
「唯、ありがと! やっぱり唯は優しいんだね!」
「や…やさっ…な、何言ってるのよ!? 私はねっ…」
背後から抱き付くララに文句の嵐を言い続ける唯
そんな二人の光景にリトは、ホッと溜め息を吐くと、小さく笑みを浮かべる
「ま、とりあえず一安心かな」
安堵とうれしさが混じった溜め息をもう一回
家で一人待つ美柑と、美柑の作る夕飯を思い浮かべ
そして、今日はそこに、とっておきのうれしさが加わる事に、リトの笑顔は、今度こそうれしさでいっぱいになった
 
 
ガチャっと開いた玄関の音に、キッチンの奥からウサギのスリッパがパタパタと駆け寄る

 

「おかえりーって…あれ? 古手川さん!?」
すっかり遅くなったリトたちを玄関で出迎えたエプロン姿の美柑は、その大きな目をさらに大きくさせて素直に驚きを表わした
「…どうも。おじゃまします」
丁寧に挨拶を済ます唯に美柑も慌てて挨拶を返す
(古手川さんが…へ~めずらしい。リトのヤツ、やるじゃん!)
と、心の中で兄へ称賛を贈りつつ、美柑はさっそく意味深な視線をリトに送る
「ん?」
一人楽しそうな美柑の顔にリトは眉を寄せる
「何だよ?」
「さぁ~?」
「は?」
ワケがわからず怪訝な顔をするリトを放って、美柑はエプロンをくるっと翻しながら、フライ返しを掲げた
「じゃーララさん。頼んでたのお願い。こっちはもうちょっとで出来るから」
「うん。わかった」

 

買い物袋を手に美柑とキッチンに戻っていくララの後ろから、唯は慌てて声を上げる
「待って! 私も何かお手伝いを…」
「いいから。いいから。古手川さんはゆっくりしててよ」
「でも…」
美柑はクスっと笑いながら、唯の声をシャットダウンした
そして、ララと何やら打ち合わせを始めたのだった
 
 
着替えを終えてリビングに戻って来たリトをソファーに座りながら、淹れたての紅茶をふ~ふ~と口にしていた唯が出迎える
「あれ? ララは?」
「妹さんのお手伝いをしてるみたいよ」
「ふ~ん」
と、気のない返事を返しながらリトは唯の隣に腰を下ろした

 

トン――――と、座った拍子にリトの手が唯の手に重なる
「え」
「あっ」
唯は逃げる様にリトから手を引っ込めた
「ご、ゴメン!」
「い、いいわよ! 気にしないで…」
唯は触れられた手を反対の手で握りしめた
リトの指先が触れたところだけが、やけに熱くなっている
「……ッ」
手を引っ込めた二人の間には微妙な距離と、そして何とも言えない雰囲気が生まれてしまう
(こ、こーゆー時って何話せばいいんだ?)
テレビのチャンネルを意味もなく変えながらリトは頭をフル回転させた
頭の引き出しから話題を見つけてきては、アレでもない、コレでもない、と繰り返す
そうこうしている内、ついにチャンネルを変えるボタンが尽きてしまう
チラッと横を意識すると、唯も同じ様にさっきからそわそわしっぱなしの状態

 

「―――…ッ」
カップをテーブルに戻して手持無沙汰になってしまった両手をもじもじ
口はキュッと結んだまま。膝の上に落とした視線は、まったく落ち着かない
(結城くんの家で二人きりとか……なんの冗談よ…!)
慣れないシチュエーションに顔が熱くなってしかたがない
唯もリトと同じ様にすぐそばにいる想い人へと意識を高める
けれど、すれ違いを繰り返すばかり
互いを想う気持ちだけがどこまでも伸びたまま、絡むことも触れることもできない
(なんか…)
(何話せばいいのよ…)
リビングに流れるむずがゆい雰囲気
二人の間にぽっかりと空いた隙間のように、中々、なおらない
「……」
「……」
会話のないリビングに、時計の針の音だけが鳴っている
結城家のリビングにあってとても珍しい静寂
もじもじと合わさる手の平に、ゴクリと唾を呑み込む音すら気を遣ってしまいそうになる
(何か話さねーと…何か…)
リトが頭を高速回転させて話題を探していると、ふいにすぐそばでソファーがギシっと音を立てた

 

「…あの、ね」
「え…」
反射的に隣を見ると、いつの間にか唯がこちらを見ていた
少しだけ頬を染めながら、リトと目が合うと、唯はふっと目を逸らす
「古手川? な、何?」
「…え、ええ。今日、帰る前、廊下で何か言おうとしてたでしょ? あれって何言おうとしてのかなって…」
「廊下?」
「そ、そうよ。あなた言ったじゃない。『今日ウチに』って。あれって何言おうとしたのか気になるというか…。って別に深い意味はないのよ! 普通に純粋に…べ、別に結城くんの言った言葉だからって特別ってわけなくて…。ああ、もう! 私、さっきから何言ってるのよ!?」
支離滅裂な言葉を繰り返す唯にキョトンとなるも、少しすると、リトは躊躇いがちにぼそっと口を開いた
「あれはその……なんつーか…今日…ウチに来ないか? って言おうとしたんだ…」
「え…」
リビングに流れている時間が止まる
その中にあって、唯のほっぺだけがどんどん赤くなっていく

 

「家に…結城くん…の?」
「ああ。夕飯でも一緒にどーかなーって思ってさ。美柑の作る料理うまいから。ってララに先に言われちまったんだけどな。はは」
「…なっ…」
顔を赤くしながらバツが悪そうに話すリトに、唯の肩がわなわなと震えだす
「な…何よそれ…」
「古手川? どーしたんだ? 何かオレ…」
唯は俯いていた顔を上げると、リトをキッと睨みつけた
「何で結城くんが言ってくれなかったのよッ!?」
「え…?」
「どうしてあなたが誘ってくれなかったわけッ!」
「ちょっ、待っ」
「結城くんが…結城くんがちゃんと誘ってくれたら私は…」
「こ、古手川?」
「そうよ! 結城くんが言ってくれたら私、喜んで家に行ってあげ―――ッ!?」
唯は両手を握りしめたままハッとなった
(わ…私、今、何言って…!?)
勢いのまま話したせいか、リトとの距離はとっても近くなっている

 

お互いの顔がいっぱいに映るほどに
「……えっと…」
「…ぁっ…」
目をパチパチさせるリトに遅れること、数秒後
唯は大慌てでリトから離れた
(こ…これじゃあまるで私が誘って欲しかったって言ってるみたいじゃない…! ハレンチなッ!)
頭を掻きながらジッとこっちを見てくるリトの視線が横顔にグサグサと突き刺さる
唯は沸騰する頭で必死に言葉を探した
「だ、だからね…だから…」
膝の上においた両手をギュッと握りしめて、そして――――
「こ、今度からはちゃんと結城くんが言いなさいよね! 私だってこう見えて忙しんだから! せっかく誘ってもらったのに予定とかあると来れないじゃない!」
ツンとそっぽを向きながら少し早口で話す唯の横顔をリトは、ポカンとしたま見つめ続ける
「うぅ…ってもう! 何とか言いなさいよ! 何とかっ!」
「え!? …あ、ああ。そーだな。えっと…今度からは気をつけるよ。今日はごめんな」
「わ、わかってくれればいいのよ…わかってくれれば…!」

 

相変わらずツンと顔を逸らしたままの唯の横顔にリトは、小さな笑みを浮かべる
そんなリトの反応に唯は、一瞬苦い顔になるも、気持ちが少し楽になった分、少しすると、リトと同じ様に口元に小さな小さな笑みを浮かべた
ギスギスしていたリビングに、ほんの少しだけ、やわらかい雰囲気が戻ってきた頃
まるでタイミングを計ったかの様に、二人を呼びにきた美柑が、リビングのドアを開けた
 
 
「おお~! うまそー!!」
「すごい…」
キッチンに入ってきた二人をテーブルの上に並んだ美柑の手料理が盛大に出迎える
「スゲーじゃん! 今日はどーしたんだよ?」
「今日は久しぶりにアンタの好きなモノでも作ってあげよーかなってね」
おたまを持ちながら美柑が得意げな顔で応える
「へ~、サンキュ美柑!」
「それにしても、古手川さんが来るなんて知らなかったから慌てたよ! もっと早く教えてくれたら古手川さんの好きなモノに変えれたのにさ」
「私は大丈夫だから。お構いなく…」
さりげなくリトにフォローを入れながら、唯はテーブルに並んだメニューに目を向けた

 

(それにしても、結城くんの好きなモノって…)
テーブルの上には、食べやすい大きさのカラアゲに熱々のハンバーグ、そしてシーザーサラダ等々
(そっか…! 結城くんってカラアゲとハンバーグが好きなんだ!)
と、胸の中のメモ帳にこっそりメモっていると、すでに椅子に座って待ち切れない様子のララが泣きそうな声を上げた
「もー! みんな早く早く! ゴハンが冷めちゃうよ!」
「うん。そだね。冷めちゃわないうちに古手川さんも座って」
「え、ええ…」
と、少し戸惑い気味に唯はリトの隣に座った
そして、四人のにぎやかな夕食が始まる
 
「おいし…!」
「でしょ? 作ってる人の腕がいいからね」
ハンバーグの味に顔をほころばせる唯に美柑は得意げに頷いた
「美柑、しじみのスープおかわり!」
「あ、オレも頼むよ」
「ちょっと待ってね」

 

テキパキと刻み終えたネギを熱々の湯気がのぼるお椀の中に入れる結城家の小さな料理人を唯は、ジッと目で追い続ける
(すごい…。私よりずっと小さいのにあんな…)
お箸を口に咥えながらそんな事を考えていると、美柑と目が合う
「ん? もしかして古手川さんもお味噌汁のおかわり?」
「え…!? あっ、そ、そうじゃなくて…」
「じゃあサラダとか? まだまだいっぱいあるからどんどん食べてね!」
「え…ええ。ありがと。でも私、もうお腹いっぱいだから…」
ええっ!? と驚きの声を上げるララに唯は言い難そうに小さく呟く
「悪かったわね…。小食なのよ」
「む~…」
「そーいや、古手川の弁当箱っていつも小さいもんな」
「ええ…って結城くん」
短い相づちを返す唯の目が少しだけ険しくなる
「え…」
ご飯を口に入れながらリトはキョトンとした顔を唯に向けた
唯は自分の口に指を当てながら、少し目を細める
「口元」

 

「口?」
「お弁当がついてるわよ」
「えっ」
慌てて口元に手をやるも、どこだかうまく探せないでいるリトに唯は、「まったく…」と溜め息を吐くと、リトの口元にすっと手を伸ばした
「ちょっ…待っ…!?」
「ジッとしなさいっ!」
「ううっ…」
顔を赤くさせて固まるリトの口元からご飯粒を取ると、唯はそのご飯粒をパクっと口にした
「もぅ、もっとしっかりしなさいよね! 妹さんの前なんだから」
「古手川さんのゆーとおりだよ。ちょっとダサすぎるって、リト」
「うっせー!」
などと辛辣な言葉を浴びせる美柑の目はしっかりと笑っていた
ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべる美柑にリトは居心地が悪くなったのか、赤くなった顔を誤魔化すように、ご飯をかきこんだ
慌ててご飯を口の中にいれたせいで咳き込むリトに、唯は湯呑みをさっと差し出す
そんな二人の光景に美柑は、さっきとは違う笑みを浮かべた

 

(ふ~ん…)
妹の目に二人は、唯は、どう映ったのか。その審査結果を心の中で言う前に、キッチンに唯の高い声が上がる
「ちょっとララさん!? それ、私のサクランボじゃない!」
「え? 唯、ずっと残してたからもういらないと思っちゃった」
「思っちゃったって…もう、何勝手に食べるのよっ!? あぁ…最後まで取っておいたのに…」
「じゃー私のあげるよ。交換、交換♪」
「あなたね…」
「美柑ー。ご飯おかわり」
いつも以上に喧騒に包まれた、けれど、楽しい食卓に美柑は、もう一度笑みを浮かべた
 
それから少しだけ時間は経ち――――
 
さっきまでの賑やかさがウソのように静まり返ったキッチン
その中で美柑は一人、夕飯の後片付けに追われていた
「さて…じゃーさっさと片付けちゃおっかな」
と、シンクの中で山積みになったお皿の前で腕まくり

 

水道の蛇口レバーを押してお湯を出すのと同時に、キッチンのドアがガチャっと開いた
「美柑…ちゃん?」
「ん? 古手川さん、どーしたの?」
少し遠慮気味に入って来た唯に、美柑は可愛い笑顔を見せる
「もしかしてリトのヤツが何か欲しいとか言ってきたの?」
「ん…、そうじゃなくて…」
「え?」
唯は美柑の前まで来ると、少し顔を赤くしながらもごもごと口を開いた
「その…今日はごちそうさま。すごくおいしかったわ!」
「ホント!? そー言ってもらえるとガンバったかいあったよ」
「でも…ほとんど食べられなくてごめんなさい…。せっかく作ってくれたのに…」
結局、半分以上、食べられなかった唯は、リトとララにかなり助けてもらい
そのことに、内心、胸を痛めていた
「―――そんな事別に気にしなくてもいいって! 私のほうこそ、ちゃんと言ってなかったしさ」
お皿についた泡を落としながら美柑は、ごめんなさい、と小さく笑った
リトと少し似たその笑顔に、胸の中がくすぐられた様な感覚を唯は覚える

 

「それより古手川さん」
「何?」
「古手川さんじゃなくて“唯さん”って呼んでもいい?」
「え?」
美柑はお湯を止めると、タオルで手を拭きながら、唯に意味深な眼差しを向ける
「うん。もしかしたら私の”おねえさん”になるかもしれないしね」
「…ッ!?」
その言葉の意味もだが、小学生にあるまじき美柑の目つきに、唯の胸が大きな音を奏でる
「な、な、何言ってるのよっ! 私は別にっ…」
「アイツのことよろしくね! 唯さん」
「だ、だから…」
一人慌てる唯に美柑はニッコリと笑った
そして、真っ白なタオルでお皿やコップを一つ一つキレイに拭いていく
「リトってさ、普段はボーっとしてるし、頼りないし、女のコのキモチとか全然わからない鈍いヤツだけど…。けど、やる時はやるヤツなんだよね」
「美柑ちゃん…?」
「た、たぶんね! たぶん。ははっ…」
美柑はぷぃっと唯から視線を逸らすと、顔を赤くしながら、ギュッと絞った雑巾でシンク周りの水汚れを拭いていく

 

「だ…だからさ、唯さんにリトのヤツをグイグイ引っぱっていってほしいんだよね! いろいろ迷惑かけると思うけど」
「そっ…そんな…」
“―――…迷惑とかあるわけないわ!”
心の中でそう言い返すも、唯はソレを口にはできなかった
今までリトに助けてもらったり、守ってもらったのは、一度や二度ではない
その度にときめいた心
やさしさに触れるたびにキュンと音を立てる胸
名前を聞くたびに、話すたびに、顔がどうしようもなく熱くなって、抑えきれなくなって
キモチが溢れて、止まらなくて、どうしようもなくて
唯はぷいっと美柑から視線を逸らした
(…なんか…もぅ…何のよコレはっ…!?)
自分の気持ちなのに思うようにならない
“その気持ち”に気づいていながら、ちゃんと正面から見ることができない
リトのことを話す美柑の顔すらも
「―――アイツ奥手だからさ、中々、言いたい事とか、したい事とか言えないと思うんだ! 一緒にいるとよくわかると思うけどね」

「……ッ」

美柑の言葉は、まるで自分に対する事の様な気がした
唯は顔を俯かせると、下唇を軽く噛み締める
ピカピカになったシンクに「うん」と満足そうに頷く美柑
ふと隣を見ると俯いたままの唯の姿に、雑巾を濯ぐ手を止める
「…あれ?」
「……」
「唯さん?」
「えっ!?」
「どーしたの?」
「な、何でもないわよ! 何でも…!」
両手を目の前で振りながら慌てて話す唯に、美柑は可愛い眉を少しひそませる
(ん~…うすうす感じてたけど、もしかして……唯さんもリトと同じタイプとか…?)
顎に指を当てながら考えること少し
何かを思いついたように美柑は、再び唯に向き直る
「ねェ、唯さん。今日、これからどーするの?」
「どう…って…それは…」
唯はキョロキョロと視線を彷徨わせる
その目が、リトがいるであろうリビングにチラチラと向けられている事に美柑は、ニンマリと笑みを浮かべた

 

「よかったら今日、ウチに泊まっていかない?」
「え…?」
思いがけない美柑の言葉に唯の思考は一瞬止まってしまう
その隙を美柑は逃さない
「うん。それがいいよ! アイツも喜ぶと思うしね!」
「ちょ…ちょっと待っ…」
「ん~…じゃあ、先にお風呂入っちゃう? もうお湯もたまってると思うし」
「だからっ…」
なんとか声を挟もうとした時、ふいに後ろから現れたララが唯に抱き付いた
「唯!」
「キャ―――って…ララさんッ!?」
「唯、今日、ウチにお泊りするの?」
「違う! 誰もそんなこと…」
「じゃあ、私とおフロはいろ? いいよね? 唯」
「だから、あなた達、私の話を…」
「決まり! 洗いっことかしようね、唯」
「あのね…」
と、ララの腕の中でそんなやり取りをしながら、唯はララに引きずられる様にしてお風呂場へと向かっていく 
(…ちょっと、ムリヤリすぎたかな…)
心の中で唯に「ゴメンなさい」と謝ると、残りの片づけを終えに、美柑はエプロンを翻した
 
 
「ハァ…」

 

湯船に浸かりながら溜め息をこぼす唯の目の前では、ララが鏡を前に頭をゴシゴシと洗っている
「♪♪」
何が楽しいのか。さっきから弾ける笑顔全開のララに、唯はまた溜め息をこぼす
(何でこうなるのよ…)
今日はリトの家にお邪魔するだけのつもりだった
それが、豪勢な夕飯をご馳走になり、なぜだか泊まることにもなり
(ってまだ泊まると決めたわけじゃ…)
心の中でどうにも不甲斐ない自分に怒ると、唯はチャプンと肩まで湯船に浸かった

お風呂の広さも、備え付けてあるシャンプーやボディソープも、どこまでも普通なモノだ

 

けれど――――
(ココで毎日、結城くん、おフロに入ってるのね)
そう想うと、お湯の熱さとは違う火照りが頬を赤く染める
唯はさらに身体を深く、湯船の中に沈めた
(私ったらちょっと舞上がりすぎてるわ! ハレンチなッ!)
天井から落ちてきた水滴がチャプンと唯の近くで跳ねる
(…でも、結城くんの家に来れたってことは、ちょっとは進んだってことでいいのよ……ね?)
中々、進まない二人の関係
変わった事と言えば、よく話すようになったこと
一緒にいるようになったこと
(前より少しだけ…ね)
だけどそれ以上、進まない。進めない
その事にほんの少しだけでも不満や不安がないと言えばウソになる
唯だって女の子。“いろんな”事に期待を寄せたり、してみたいと思ったりもする
(だからって…)

 

顎のあたりまで湯船に浸かりながら唯は、自分の中でぐるぐると廻り続けるモノに小さく呻いた
 
いろんなところに行ってみたい
おいしいケーキとかも食べたい
カワイイ小物を見て回ったり
お気に入りの服なんかを見てもらったり
手なんか繋いだりして…
一緒に写真とか撮って…
それから…それから…――――
 
唯の妄想は止まらない。茹でタコのように顔を真っ赤にさせながら、目の辺りまで身体を沈めた
(きょ…今日だって本当は……本当は…ちょっと…ほんのちょっとだけど期待なんかもして…)
ブクブクとお湯の中で妄想を繰り広げていると、ふいに風呂場に明るい声が弾ける
「唯ッ」
「ひゃっ!?」
と、素っ頓狂な声を出しながら唯は湯船から顔を上げた
「どーしたの?」

 

「ど、どうしたのってあなたこそ急に何よッ!?」
不自然なほどに赤くなっている唯に不思議そうな顔をするも、すぐにララはいつもの明るい顔に戻る
「うん。あのね。唯にききたい事があるんだ」
「ききたい事…? …何よ?」
いつも突拍子もない事を言ったりするララだけに、唯もつい身構えてしまう
ララは頭についているシャンプーの泡をシャワーで洗い流すと、鏡の中を見つめた
「リトとどーなのかなァ…って」
「え…」
ララの声は珍しくいつもより小さかった
けれど、風呂場の反響のせいで、唯にはいつもと変わりないように聞こえてしまう
ララはスポンジにボディソープをつけながら、いつもと同じ声に“意識して”戻す
「えっとね、好きな人とお出かけすることを“でーと”って言うんでしょ? リトね、唯のこと好きなクセに、ちっとも“でーと”とかしないから」
「…そっ…それは…」
「ん~…何でかなーって思ったの。だって、好きな人と一緒にいると、それだけでココがドキドキしたり、ウキウキするもんね! 一緒にいたいと思うもんね!」
ララは自分の胸に手を当てながら、照れくさそうに笑った
そして、鏡の中の自分から、唯に目を向ける

 

「唯もそうだよね?」
「!? わ、私はそんなっ…」
「ん?」
ララの視線から唯は逃げる様に顔を背けた
横顔に突き刺さるララの不思議そうな視線がやけに痛く感じる
「やっぱり好きな人といると、それだけでうれしくなっちゃうと思うの! だからね、唯ももっとリトと“でーと”とか…」
「ば、バカ言わないのッ!!」
「え…?」
自分の声をかき消してしまうほどの大声に、ララは腕をゴシゴシ洗う手を止め、思わず唯の顔をキョトンと見つめてしまう
「唯?」
「な、何おかしな事言ってんのよッ!? 二人っきりでどこかに行くなんて何考えてるのよ! ハンレチなッ!! だ、だいたい、高校生は本来、勉強が基本でしょ? それを放ってまで…そんな不純異性交遊、私は認めないわッ!!」
「ふじゅん…いせーこーゆー? 何ソレ?」
「うっ…ぅ」

 

ララの的外れな質問に勢いを殺されたのか。唯はララから目を逸らすと、呟くようにぼそぼそと続きを話す
「と…とにかく…私は…」
「ねェ、唯」
「うう…」
相変わらずララの生み出す独特の“間”に慣れない唯
そんな唯にララは浴槽の淵に両手を乗せると、身を乗り出すようにして顔を近づける
「…何よ?」
「洗いっこしようよ!」
「え?」
「洗いっこだよ! ね、しよ?」
「え…え? ちょっ…ちょっと!?」
などと言っている内に、湯船から無理やり出された唯は、鏡の前に座らされてしまう
「あのねっ…」
「じゃあ、最初は私が唯を洗う番ね?」
「……もう、好きにしなさいよ…」
半ば諦め状態の唯に顔をほころばせながら、ララはスポンジにボディソープをつけていく
「まずは腕からだよ」
「はいはい」
溜め息を吐きつつも唯は素直にすっと腕を伸ばした
(まったく! どうしてこうなるわけ?)
鏡の中のムスッとした自分の顔を見ていると、あることに気づく

 

(それにしても…本当にスタイルいいわよね…ララさんって)
自分の身体とララの身体を見比べている内、ふとリトの事が頭に浮かぶ
 
もしかして結城くんもあんなムネが大きい方がいいのかしら…
やっぱり男のコだし…いろいろ…
 
鏡に映るララの大きな胸に難しい顔を浮かべる唯
そんな鏡の中の自分とふと目が合い、ハッとなる
(ってどうして結城くんがっ!? ハレンチなッ!!)
頭をブンブンふってリトを追い出すと、唯はほぅっと小さく溜め息を吐いた
そして鏡の中のララに何気なく視線を送る
鼻歌を歌いながら腕をゴシゴシと磨いてくれるララ
鏡越しとはいえ、やっぱりララの美しさは際立つモノがある
それは宇宙人だとか、王女様だとか、生まれつきだとか、そんなモノじゃ言い表せないモノだと唯は、思った

 

ララはいつでも楽しそうで、明るくて、素直で、元気いっぱいで
みんなに好かれる、クラスどころか学校中の人気もの
唯は鏡越しにララを見つめながら、また溜め息を吐く
「ん、どーしたの? 唯。さっきからヘンだよ?」
「…別に何でもないわよ」
「じゃー今度は背中だからね」
ララは意気揚々と唯の背中をゴシゴシと洗っていく
 
ララさんにあって自分にはないモノ…
結城くん…私は―――…
 
小さな溜め息が口からこぼれた時、ふいに唯の両肩がビクンと跳ねる
「わぁ!? 唯のおっぱいってやわらかいんだね~♪」
「な…ななっ…」
おかしな声が出そうになるのをグッと我慢しながら、唯は後ろを振り返る
その間も泡だらけのララの両手が唯の胸をムニュムニュと弄っていく
「ちょっ…とっ…ララさん!?」
「お~♪ すごいプニュプニュしてる」
「いい加減に…ッ…やめっ…んっ…」
泡のぬるぬる感と、ララの妙に卑猥な手つきに、唯は唇を噛み締めたまま肩を震わせ耐える

 

けれど、その我慢もすぐに限界になってしまう
「…くっ…ぁ…」
「あれ? なんか先っぽのほうが堅くなってる?」
「ッッ!?」
「ん~…何で?」
「あ、あのね…」
小首を傾げるララに、不思議と喉の奥まで込み上げてきていた怒りがほんの少し和らぐ
唯はララの手を振り払うと胸を押さえながら、そっぽを向いた
「あっ」
「もうやめなさい! 何考えてるのよ! ハレンチなッ!」
口調をキツクさせる唯に、ほっぺに泡をつけたままララは「ゴメンね」と小さく笑った
「まったく…!」
「えへへ」
本気で怒りたくても、ララの生み出す独特の雰囲気と明るい笑顔に、肩透かしをくらってしまう

 

いつもこうだ。ララのそのマイペースぶりにいつも振り回されてしまう
けれど、いつも許してしまう。最後は溜め息を吐きながらもクスっと笑ってしまう
そんなララにしか出せない魅力が、眩しくて、うらやましくて
(―――…なんだかんだで私…ララさんと一緒にいるのよね…)
リトと同じぐらい一緒に過ごした、ララとの時間
イライラしたり、溜め息が出たり、時には衝突する時もあるけれど
いつの間にか、ソレが自分の中でずっと大きくなっている事に唯は初めて気づく
鼻についた泡にくすぐったそうにしている目の前のララに、自然と口に小さな笑みが浮かぶ
「ありがと…」
「え? 何が?」
「…さっきいろいろ言ってくれたでしょ」
「さっき…? ん~…」
ララは鼻の頭についた泡を指で取りながら、唯の言った言葉の意味を考える
そして、ぱっと顔を輝かせる
「そんなの当然だよ!」
「え?」
「だって私、リトが大好きだもん」
「……」
「でね、唯も大好きなんだ!」
唯はララが言おうとしている意味がわからず、整った眉を寄せた

 

「美柑も大好き!! 大好きな人がいっぱいで困っちゃうよ」
「何よそれは…」
エヘヘ、と子供のような無邪気な笑顔を浮かべるララに、唯の堅くなっていた顔も思わずほころぶ
リトとは違う、ララの笑顔
いつも誰かを笑顔に巻き込むララのとっておきの“魔法”
その“魔法”を持たない唯にとって、やっぱりララは眩しくて、羨ましくて、そして――――
「……あなたってやっぱりよくわからないわ」
「ん?」
「…何でもない」
ぷいっと赤くなった顔を背けてしまう大事な友達に、ララはさっきの数倍も輝く笑顔を向けた
「唯ッ!」

 

「え? 何…ッッ!?」
「唯、大好き!」
「わ、わか…わかったからっ! だから、もう! くっ付かないで―――ッ!!」
 
と、お風呂場で唯とララが騒いでいる頃――――
 
「遅くなってごめんなセリーヌ」
「ギーギー」
リトがジョーロに入った水をかけてやると、シュン…、となっていたセリーヌが一変
蔦をシュルシュルと伸ばしてリトのほっぺをくすぐる
「やめろって…くすぐったいだろ」
「ギー!」
セリーヌのうれしさの表れなのか。子どもの様に蔦で頬ずりをするセリーヌに、リトの顔もほころぶ
「…にしても…」
なんとなく顔を向けた方向は、外まで聞こえる騒がしいお風呂場の窓
「ホント―――」
 
「―――何やってんだろ? 二人とも…」
リビングのソファーに座りながら美柑は可愛い眉を寄せた
テレビから流れてくる音に混じって、唯の悲鳴にも似た声や、ララの楽しそうな声がお風呂場の外まで聞こえてくる

 

アイスを舐める手を止めると、美柑はひょいっとソファーから身を乗り出し、ドアの向こうを覗き見た
脱衣所の方からは、相変わらず唯のガミガミ声と、ララの笑い声が聞こえる
次第にその声は近づき、ガチャっとドアを開けてリビングの中にまで入ってきた
「―――まったく! どうして普通におフロに入れないなのよ、あなたはッ! 本当にあきれるわ!」
「でもでもすっごく楽しかったよ?」
「あなたね…」
腕を組みながらジロっと睨みつける唯に、ララはニコニコ顔で応える
唯は溜め息を吐くと、ソファーに座ってアイスを口に咥えている美柑に、表情を改めニコッと笑みを浮かべた
「おフロありがとう」
「いえ。お湯加減とかどーでした?」
「ええ。とっても気持ち良かったわ」

 

お風呂に入る前と後で、どこか表情が柔らかくなっている唯に、美柑は少し眉を寄せた
(何か…あった?)
と、疑問を挟む前に、いつの間にかキッチンから戻ったララが明るい声を弾けさせる
手には冷たく冷えたハーゲンダッツのアイスクリーム
「唯、アイスだよ。どっち食べる?」
「え、いいの? 貰っても」
「いいっていいって! いっぱいあるからどんどん食べていってよ」
スティックアイスを口の中でシャリシャリ言わせながら、美柑はララからクリスピーサンドを貰う
「じゃ…じゃあ一つ貰うわね」
美柑に遠慮しながら、唯はララの手からミニカップのビターキャラメル味を選んだ
スプーンで掬って一口パクっと口の中に入れると、苦さと甘さが口の中で広がる
「おいし…」
「ね!」
ソファーの上の美柑と唯は顔を合わせて、笑い合う
(唯さんって笑うとこんな可愛いんだ…)
初めて見る唯の笑顔に美柑がそんな感想を抱いていると、クッキー&クリームをすでに食べ終わったララが、おかわりのホワイトピーチの蓋を幸せそうな顔をしながら開けた

 

「ねェ、唯」
「何?」
「唯って今日、どこで寝るの?」
「え…」
唯はスプーンを口に入れたまま、ララの顔を見つめたまま、固まってしまう
「ど、どこってそんな事言われても…」
「リトの部屋でいいんじゃない?」
「ゆ、結城くんの!? ちょ、ちょっと待って! そんな結城くんと一緒だなんてっ」
「リトならココか、空いてる部屋で寝ると思うから、心配しなくてもいいよ」
最後の一欠片を口に入れながら、美柑はシレっとそう言った
そして、スティックをキレイに舐め終えると、イタズラ心満載の視線を唯に向ける
「それともリトと一緒に寝たい? いいよ別に。私からもそー言って…」
「い、いらないわよ! そんな事しなくても結構よッ!! まったく…」
顔を真っ赤にしながら早口で捲し立てる唯に、美柑は心の中で小さく笑った
(ホント、唯さんってわかりやすいよね)
カスタードプティングのクリスピーサンドの袋を破くと、ひんやりとした冷気が甘い匂いと一緒になって美柑の鼻をくすぐる
「あ! そーいえばリトにおフロって言ってなかった!」

 

リトの話題が出たこともあるのだが
今更ながらリトの存在を思い出した美柑は声を上げた
「悪いんだけど唯さん、リトのヤツ、呼びにいってあげて。たぶん、部屋にいると思うから」
「ええ。わかったわ」
甘いモノは別腹といった具合に、キレイにアイスを食べ終わった唯は、美柑に言われたまま、そのまま二階へと上がっていった