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 いつもは人が疎らな神社から、櫓や露天を組み立てる人達の威勢のいい声が聞こえてくる
神社に続く道————陽炎が立ち上るアスファルトの上を、競い合うように自転車を漕いでいる、夏休み真っ盛りの小学生たち
ミーン、ミン、ミン、と響くうるさいセミの鳴き声に混じって、カラン、コロン、と下駄が鳴る音
そう、今日は、年に一度の彩南町の夏の風物詩、盆踊りの日


 お風呂の湯船にチャプン、と両手を浸けてお湯をすくい、そしてまた湯船の中へ
お昼過ぎからそんな事を繰り返していた唯は、「はぁ」と溜め息をついた
「結城くんと、夏祭り、か…」
正確には、リトといつものメンバーなのだが
あいにく今の唯の頭の中には、リトの顔しか浮かんでこない
「……そういえば…、去年も一緒だったのよね」
 去年————初めてリト(達)と廻った夏祭り
そして、初めてリトに出会った年
"いろいろ"と思い返している内、唯の顔が苦くなる
「きょ…去年は散々なお祭りだったわね…! 今年こそ———…」
そう今年こそ———
その先の言葉を頭の中で唱える前に、唯の顔が朱色に染まる
「って、また私ったらハレンチなコトをっ!?」
湯船の中で自分の頭をポカポカと叩く唯
お気に入りのネコの形をした石鹸の泡を、お風呂場いっぱいにしながら
唯の一人にぎやかなお風呂は、まだまだ続く

 その頃、結城家では

 「まうっ」
部屋のドアを開けたセリーヌの目に、ベッドの上で気持ちのよさそうな寝息を立てるリトの
姿が飛び込んでくる
セリーヌは、ぱぁっと顔を輝かせた

 午後から突然、姿が見えなくなったリトを探して家中、大冒険
キッチンの棚の中も、お風呂場の浴槽の中も、あっちもこっちも探し回ったセリーヌ
一番遊んでほしい人をようやく見つけたセリーヌは、うれしそうにベッドに駆け寄った

 「まうー」
小さな手足を一生懸命、使ってベッドによじ登る
何とかベッドの上に辿り着いたセリーヌ。熟睡中のリトは気づかない
セリーヌは、リトのTシャツをクイクイ、と引っぱってみる
「まう、まう」
「んーー…」
何度か引っぱっていると、寝苦しさを感じたリトがセリーヌの手を振り払うようにゴロン、
と寝返りを打った
「まうっ!?」
セリーヌは指を咥えながら、どうやって起こそうか考える
リトは夢を見ているのか。時折、顔をニヤけさせている
セリーヌは仰向けに寝ているリトのお腹の上にピョンっと飛び乗った
そして、お腹の上でぴょんぴょん、と飛び跳ねる
"起きて、起きて"と何度も、何度も
「まう、まうっ」
「ん…んっ」
さすがに苦しくなったのか、気持ちよさそうだったリトの顔が歪む

セリーヌはリトの顔を真上から覗きこむと、両手でリトの頬をムニっと挟んだ
「…っん…」
「まう? まう! まうー!」
顔を近づけて何度も呼びかけるセリーヌ
そんなセリーヌの一生懸命な気持ちとは裏腹に、リトは目を覚ますどころか、また夢の中
へと戻ってしまい、すーすー、と寝息を立て始めた
さすがにセリーヌの愛らしいほっぺが、ぷっくりと膨らむ
セリーヌはリトのほっぺをペチペチと叩き始めた
「まう、まう!」
「ん、んん…」
セリーヌの「起きるまう! あそんでほしいまうー!」という気持ちがやっと伝わったのか
夢の中から無理やり現実に呼び戻されたリトは、重たそうに瞼を持ち上げた
まだ半分以上眠っている、とろけきったリトの顔を、セリーヌのクリクリお目目が覗きこむ
「っん…セリー……ヌ? どした…?」
「まうー♪」
やっと声を聞けたセリーヌは、大喜び
大輪の花を咲かせると、また、ピョンピョンと飛び跳ねる
「お、おい!?」
「まう♪ まう♪」
ナナやモモから解放され、そして美柑の頼まれ事を済ませ、やっと久しぶりの昼寝がで
きたというのに、すぐに無理やり起こされる
せっかくの休みの日だというのに……
けれどもリトは、怒るどころかセリーヌの頭を"よしよし"と撫でた
ふぁ〜、っと大欠伸をするリトに、キャッキャと楽しそうに笑うセリーヌ
目に涙を浮かべながらリトもセリーヌにつられて笑顔になる
セリーヌのうれしそうな顔には、やっぱり敵わない
「よし…! じゃー起きるか」
「まうっ!」
枕元の時計を見ると、時刻は夕方の四時半を廻ったところ
「もうこんな時間か…。そろそろ祭にいく用意しなきゃな」
ようやくリトは、祭の仕度をするために重い体を起こした

 そして、唯は————

 すでに日は、すっかりと傾き
真っ赤な日の光が差し込んでいる部屋の中
唯は、いつも以上に念入りに髪のお手入れに勤しんでいた
 ミニテーブルの上には、買ったばかりのアウトバス用のトリートメント他
鏡を見つめる目は、どんな時よりも真剣、そして気合いが入っている
「って何をそんなに必死になってるのよ! お祭りにいくだけじゃない!」
と、鏡の中の自分に言い聞かせながら、唯はドライヤーのスイッチを入れた
 ドライヤーを持つ手先、そして足先は、キレイに整えられた爪が輝いている
ドライヤーの風で舞う髪からは、お気に入りのシャンプーの香りがほのかに香っている

 『古手川、今日はいつもよりもずっと! ずっとキレイだよ!』

「……ッ」
頭に浮かぶリトの笑顔にブラシを持つ手が止まる
ボっと火がついたように赤い顔をブンブンと振って雑念を追い払う
唯は、ベッドの上に仰向けに寝転がった 

それでも、振り払った想いが後から後から溢れだしてくる

 『古手川』

と、ニッコリほほ笑むリトの顔に顔が熱くなって仕方がない
「…うぅ…」
夕日色に染まる唯の顔
 唯はそばにあった枕を抱きしめて、丸まった
「…なんでもぅ」
枕を抱っこして、左にゴロゴロ
「結城くんのことばっかり」
右にゴロゴロ
「しっかりしなさいよねっ」
どうにも調子が狂ってしかたがない唯は小さく溜め息をつく
そして、目の前にあるケータイを手に取ると、ポチポチと操作し始める
「……」
ケータイの画像フォルダの中のたくさんの猫達。その中の一枚、リトとセリーヌに目が留まる
ボタンを操作していた指が思わず止まった
それは数日前————

 散歩中のリトとセリーヌに偶然会った唯は、そのまま二人の散歩に付き合う事に
 他愛無い会話をしながら立ち寄ったのは、とある公園
 砂場で砂のお城を作るセリーヌと、それを手伝うリト
 服や顔に砂を付けながら、それでも楽しそうに遊ぶ二人
 その光景に唯は、カバンの中からゴソゴソとケータイを取りだした
 「……その…ちょっと撮っていい?」
 「写メ? 別にいいぜ」
 「まうー!」
 スコップを手に楽しそうなセリーヌと、頬に砂をつけたリトに、唯はケータイを向けた
 夕日よりも赤くなった顔をしながら
 そして、カシャ———と、一枚

 何度も待ち受けにしたいという衝動に駆られながらも、結局はできなかった、とっておきの一枚
「だって……だってそんな事…!?」
ケータイの中でニッと歯を浮かべて笑うリト
そして「まうー」と元気いっぱいの笑顔を見せるセリーヌ
「…………」
しばらく二人の顔を見ている内、あれほど固くなっていた表情がふっと緩む
「…お祭り、楽しみね」
そう呟きながら唯の指先が二人の顔に触れる
唯はセリーヌ宛てにメールを送ると、ケータイと一緒に目を閉じた

 時間は少し戻り、結城家のリビング————

 「まうー」
「コラ、セリーヌ! ちゃんと着けないとダメだって!」
浴衣の帯を持った美柑からセリーヌは逃げていた
初めてする帯の締め付けが不快だったらしく
せっかく着けてもらった帯を自分で解いてしまったセリーヌは、それ以降、ずっとこの調子
「セリーヌ!!」
「まうっ!」
セリーヌはリトの後ろに隠れた

「リト、ちょっとセリーヌ捕まえて! これじゃ、いつまで経っても着替え終わらないよ」
腰に手を当てる美柑は、すでに浴衣姿
ちょっと大人っぽい紫の生地に夏の花が涼しげに咲いている、美柑のお気に入りの一枚
「セリーヌ! そんなんじゃ、いつまで経ってもお祭りいけないよ? いいのっ?!」
「まう…!」
リトのズボンの裾を握りながらセリーヌは、ブンブンと頭を振った
だけど、浴衣の帯だけは、どうしても着けたくない
「セリーヌっ!」
「まァ、ちょっと落ち着けよ、美柑」
「リト!?」
敵になってしまった兄に美柑は、驚きの表情を浮かべ
味方を得たセリーヌは、ぱっと顔を輝かせる
「まう、まう」
足にぎゅ〜っと抱きつくセリーヌをひょいっと抱き上げるとリトは、苦笑した
「だって、こんなイヤがってるのに、ムリやりしてどーすんだよ?」
「そんな事言って! それじゃ、セリーヌの浴衣どーするの? この日のためにわざわざ
買ったんだよ!」
「そりゃ、まあ…」
美柑の言っている事はもっともだが、すがる様な目で見つめてくるセリーヌを見ていると、
気持ちがどうしても引けてしまう
妹と娘、二人の眼差しがリトに集中する
眉間に皺を寄せて悩んでいると、渡りに舟と言った具合に、ポケットのケータイが音を立てた
「ん、メールか…?」
ポケットからケータイを取り出し、新着メールを開く
「…古手川からだ」
「まう?」
セリーヌもリトに習ってメールの中身を覗き見る
そこには、シンプルな文章でこう書かれていた

 『こんにちは、結城くん。今日はお祭りね。
 6時に神社の鳥居前に集合。ちゃんと覚えてる? 遅れない様にしなきゃダメだからね? 
 それと、今日はセリーヌちゃん、浴衣なのよね? 私も浴衣着ていくから、セリーヌち
 ゃんの浴衣姿、今から楽しみだわ。 唯』

「だってさ」
リトはセリーヌに読み聞かせる様にメールを読み上げた
「どーする? 古手川は楽しみにしてるみたいだぜ? お前の浴衣姿」
「まう…」
セリーヌはもう一度メールを覗きこむと、リトの腕からぴょん、と飛び降りた
そして、美柑の前にやってくる
「まうっ!」
「やっとカンネンしたか…! いいコにしてね? セリーヌ。苦しくないように着けてあげるから」

セリーヌは両手をバンザイすると、素直に美柑に帯を着けてもらった
出来上がった帯の結び目や巻き心地に最初こそ戸惑っていたけれど、それも次第に忘れた
のか、今では初めて着る浴衣にはしゃいでいる

「…にしても古手川、助かったよ」
浴衣の裾を翻しながらリビングを走り回るセリーヌの姿に、リトはケータイの向こうの唯
の顔を思い浮かべながら"サンキュー"と言葉を送った


 それから時間は立ち、約束の待ち合わせ時間から遅れること、十数分

 祭の行われる神社へと続く道に、赤い鼻緒をした下駄の音が鳴る 
「まったく私ったら、何考えてるのよ…! 遅刻じゃない!」
急ぐ足を止めないまま、唯は自分に向かって怒りをぶつけた
実はセリーヌにメールを送ったあと、唯は寝てしまったのだった
それはもう気持ちよさそうな寝息を立てて
とってもとっても、幸せな夢を見ながら

 夢の内容は、自分とリトとセリーヌが家族になる話
純白のウエディングドレスに身を纏った自分が、教会でリトと式を上げるところから
仕事から帰ってきたリトに「おかえりなさい」を言い、三人で和やかな夕飯を食べるところまで
きっちり! ばっちり! 完璧に見てしまった

 最近、特にリトの夢が多くなってきたとは言え
まさかそんな夢に現を抜かしていたなんて、唯にはまだ認めることができない
ケータイを取り出し、時刻を見ると、待ち合わせ時間からすでに十数分の遅刻
「ホントにバカなんだからっ!」
自分への怒りが収まらないまま、唯はケータイを開いた
そこには遅れる事を詫びたメールに対してのリトからのメールがあった

 『わかった。もう人も多くなってきたし、暗くなってるから、気をつけてこいよ。 結城』 

正直、遅れても自分の身を案じてくれるリトの優しさよりも、怒っていない様子に胸を
ホッと撫でおろしてしまう
「早く…早く行って、そして謝らないと!」
 神社はもう目と鼻の先
そろそろ人通りも多くなり始めた頃。唯は一先ず、急いでいた足を緩めると息を整えた
いつリトに会ってもいいようにと、ミラーで簡単に髪と顔のチェック
「よし!」
自分が誰よりも恋する女の子の顔になっているだなんて、まったく気づいていない唯は、
逸る気持ちを抑えながら最初の鳥居をくぐった

 「あれ? 唯!」
「え、お兄ちゃんっ!?」
祭の本会場がある神社の境内へ続く長い道の途中、突然、遊に呼び止められた唯は、立ち止った
「お前、何やってんだ? 昼ぐらいからフロ入ってたりしてたじゃねーか。とっくに祭
始まってるぞ?」
「う…うるさいわね」
まさか寝過ごしただなんて口が裂けても言えない唯は、バツが悪くなった顔を見られまい
と、胸の前で腕を組んで遊からぷいっと顔を逸らす
「わ、私のことよりも、お兄ちゃんこそ何してるのよ」
「あ、オレ? 女待ち」
唯の表情が露骨に歪む

「…言っとくけど、お祭りだからってハレンチなマネはやめてよ? みっともないんだからね!」
「はいはい、こんな時までうるせーこって!」
「お兄ちゃん! 私はね…」
「お前はどーなんだよ?」
「え…」
遊の意味深な眼差しにさっきまでの勢いを奪われてしまう唯
「な…何がよ」
「やっぱ"結城くん"か」
「うっ」
唯の顔が祭の提灯の様に赤く染まっていく
その様子に遊は笑みを深くした
「ったく、オレの事よく言えたもんだぜ」
「ち…違っ…! きょ、今日はそう言うのじゃなくて」
「今日"は"かよ」
「くぅ…」
リンゴ飴の様に唯の頬が真紅に染まる
そんな唯の様子にニヤニヤと遊び心満載の笑みを浮かべる遊だったが、内心は別の事を考えていた
(———コイツが男、ね…)


 『おにいちゃん、待ってー』
 トコトコ、とどこまでも遊の後を付いてくる幼い唯
 初めての浴衣と、いつまで経っても穿きなれない下駄
 何度も転びそうになりながらも唯は、必死に遊の後を追いかける
 『おにいちゃん、おにいちゃん』
 『……』
 小さい頃の遊は、ソレがひどく煩わしく思えたようで
 イラつく気持ちを抑えながら、唯の声をどんどん背後に追いやってしまう
 そして————

 『わーん! おにいちゃんどこー! どこいったのーっ!!』
 祭会場の真ん中、唯は大声を上げて泣いた
 どこを見渡しても"おにいちゃん"の姿はない
 周りは知らない人に、知らない景色ばかり
 不安と寂しさで、小さな胸が塗りつぶされる
 『あーん! あーん! ひっぐ…うぅ…』
 手に持った綿菓子が、ひどく重く感じる
 袖で何度もゴシゴシと擦った目は、もう真っ赤に腫れていた
 それでも涙は止まらない
 あとからあとから溢れてくる寂しさが止められない
 何度も目を擦っていると、ふいに唯の手が掴まれた
 『へ…?』
 『何やってんだよ』
 と、ぶっきら棒に言ったのは遊だった
 唯の大きな目に遊の顔がいっぱいに映る
 そして、唯の目から遊の顔が映る大粒の涙がポロリとこぼれ落ちた
 唯はまた泣き出してしまう
 今度は、寂しいからじゃなくて、うれしさと安心感で
 『おにい…ちゃん…うぅ…うう…』
 『泣くなって! こんなトコで恥ずかしだろ…!』
 『ひっ…ぅ』
 ガンバって、ガンバって、嗚咽をこぼしながら涙を止める唯
 真っ赤に腫れた目で遊の顔を見つめる

 『おにぃ…ちゃん』
 『何だよ』
 唯の小さな手が遊の手を握りしめる
 握りしめられた手から涙の感触が遊に伝わる
 その手を遊は一瞬、躊躇い、握り返す
 そして、恥ずかしそうにそっぽを向く
 『…ほ、ほら、とっとと行くぞ? オレから離れるなよ』
 『う…うん』
 まだ慣れない下駄を鳴らし、唯は遊に引っ張られるように後を付いていった


(———ま、コイツも変わったってことだよな…。アイツのおかげで)
ムスっとしたままの唯の隣にリトの顔を思い浮かべる遊
ポケットのケータイが鳴りだす
「お、やっと来たみたいだな」
「お兄ちゃん!」
「わかってるって! しつこいヤツ!」
「あのね…」
遊はメールの文章を追っていた目をふいに唯の方に向ける
「…唯、あのさ」
「何よ」
「手、ちゃんと握ってもらえよ? リトのヤツに」
「なっ…何言って…!?」
「迷子にならないようにな」
「なるわけないでしょ! バカっ!」
ツンと明後日の方向に顔を背ける唯
そんな唯に遊は、久しぶりに兄らしい顔をして、そして、苦笑した


 「古手川、遅いな」
「まう…」
"遅れます。ゴメンなさい"のメールを受け取って、すでに二十数分
そろそろ到着してもいい頃合いなのに、境内に通じる参道のどこにも唯の姿は見当たらない
「何やってんだ…」
鳥居にもたれながらリトは溜め息をつく
祭会場は、神社の本殿に奉納する神輿が近付いていることもあり、ますます人が増えている
「何かあったのかな?」
「まう…っ!?」
何気なく言った一言
はぐれない様に繋いでいたセリーヌの手が、わずかに震えたことにリトは気づかなかった
鳥居の向こう————灯りのついた提灯に照らされる参道に向けられるセリーヌの視線にも

(どこにもいないまう…)
(セリーヌに会いたいっていってたまう)
(セリーヌの浴衣、みたいっていってたまう…)

セリーヌは大きな目を忙しなく動かした
あっちにキョロキョロ、むこうにキョロキョロ

(どこまう? どこにいるまう? セリーヌはココにいるまう)

やがてセリーヌの目がお目当ての人を見つけ出す

「まうっ!?」
「ん? どした? セリーヌ」
「まう、まう!」
セリーヌは指差しながら自分が見つけた"人"の所へ、リトを引っぱっていこうとする
「お、おい、セリーヌ? ダメだってココにいないと!」
「まうー!」
まるで言う事を聞く様子がないセリーヌ
ついにはリトの手を振りほどき一人で走り出してしまった
「セリーヌ!!」
セリーヌの背中が見えなくなる前にリトも走り出す
が、ちょうど境内に入ってきた神輿の喧騒に運悪く巻き込まれてしまう
「うわっ!? ちょ…セリーヌ! 待てって! セリーヌ!!」
後ろから聞こえてくるリトの声
セリーヌは走るのをやめない
危ない足取りで階段を降りながら、向かう先は、さっき見つけた"人"のところ————


 「まったく! いつまで私を子供扱いすれば気がすむのよ!」
さっきのやり取りにまだプンプンと頬を膨らませながら唯は、露天の数が増えてきた参道
を歩いていた
すっかり人の波に呑まれてしまったこの場所からは、待ち合わせ場所の鳥居は見えない
その長い長い道のりに溜め息をつきつつ、唯は、まだ姿が見えない二人に想いを馳せた
(結城くん、セリーヌちゃん。待っててね!)


 「まう…」
境内から少し歩いたところ、小さな広場になっている場所でセリーヌは、立ち止った
キョロキョロと首を動かして、さっき見つけた"人"を探す
(ココでまちがいないはずまう! セリーヌは見たまう!)
いつもリトの隣にいて、怒っていることが多いけれど、ホントは、とっても優しくて
抱っこされた時の優しい匂いがとっても! とってもとっても大好きで! あったかくて!
(……いないまう…。どこにいったまう?)
セリーヌは再び唯を探し始める
浴衣の裾を踏んでしまい、転びそうになりながら
知らない人とぶつかりそうになりながら
自分よりずっと大きな大人たちを見上げながら
トコトコ、トコトコ、大勢の人の中、唯を探す
(どこまう? どこにいるまう?)
ずっと上ばかり見ていたセリーヌ
前方の注意がつい疎かになってしまい————

 ドンっ!!

「まうっ!?」
知らない人にぶつかったセリーヌは、冷たい石畳の上に尻モチをついた
「…ってぇ、なんだこのガキ?」
「ま…まう」
「やめとけって! 怖がってるじゃん」
目尻に涙を浮かべるセリーヌに悪態をつきながら中学生ぐらいのグループが横を通り過ぎていく

 

セリーヌは立ちあがった
いつもならこんな時は、リトや美柑が助けてくれるのに、今は、たった一人
その事が今になって、セリーヌの小さな胸を締め付ける
「まう…」
右を見ても左を見ても知らない人ばかり
たくさんの人の中でセリーヌは、一人ぼっち
「ま…ぅぅ」
目にいっぱいの涙が込み上げてくる
大粒の涙が目からこぼれ落ちそうになる瞬間、セリーヌの耳に聞き慣れた、一番聞きたか
った声が届く
「セリーヌちゃん」
「まう!?」
セリーヌは後ろを振り返った
手に巾着を持った唯が、目を大きくさせてそこにいた
その姿を見るや否や、セリーヌは唯に駆け寄ってその胸の中に飛びつく
「まうー!」
「セリーヌちゃん…!?」
 小さな衝撃が胸に伝わってくる
セリーヌは唯の胸に顔をうずめたまま、しばらく顔を上げなかった
「セリーヌちゃん、こんなところに一人でどうしたの? 結城くんにみんなは?」
周りを見渡してもリトはおろか、美柑やナナ達の姿がいない事に唯は、怪訝な顔を浮かべる
セリーヌは何も応えない
応えない代わりに、胸から顔を上げると満面の笑顔を唯に向けた
「まうー♪」
「……っ」
セリーヌの顔は、本当にうれしそうで。溢れだす気持ちを顔と、声と、唯から決して
離そうとはしない小さな手に込めて唯に伝える
そんなセリーヌの無垢で純粋な姿に唯は、思わず小さな笑みをこぼす
「セリーヌちゃん」
「まう、まう」
ぷにぷにの柔らかいほっぺを唯の白い頬に当て、何度もすりすりさせるセリーヌ
セリーヌなりの最高級の出迎えに、唯はくすぐったそうに笑みを浮かべると、セリーヌを
抱っこして立ち上がった
「まったく、セリーヌちゃんを一人にして! あなたのパパは何をしているのかしら?」
「まうー」
にぱぁっと笑うセリーヌは、すっかりご機嫌そのもの
さっきまでの寂しさいっぱいのキモチも、キレイに吹き飛んでしまっている
「とりあえず、行きましょっか?」
「まう!」
セリーヌを抱き直し、境内に向かおうとした時、前の方から唯を呼ぶ声
「おーい、古手川ー!」
「え?」
人の波の中に目を凝らすと、リトが大きく手を振りながら、こちらへと駆け寄ってきていた
「結城くん」
唯とセリーヌの前で停止。そして、息を切らせながら額の汗を拭う
「よかった! セリーヌを見つけてくれたんだな。ホント、助かったぜ! 急に走って
いなくなったからどーしよーかと思…」
「ジーーー」
「え…」
凍える様な唯の視線
リトは反射的に後ずさりしてしまう
「な…何んですか?」
思わず敬語を使ってしまうリトにさらにジト目を深くさせ
唯はセリーヌを抱き抱えたまま、リトにジリっと詰め寄った 
「それ、どういう事なの?」
「ど…どーゆーって……」
「急にいなくなったとか、あなた何やってたの?」
「何って、古手川を待って…」
唯の瞳が祭囃子の光に照らされて赤く光る
「…私を待つって……それでセリーヌちゃんを一人にして一体、何考えてるのよっ!!?」
「うわっ! ご、ゴメンなさい!!」
その場で正座させそうな勢いでガミガミとお説教を始める唯
そんな二人に周りの人達は、立ち止まったり、ニヤニヤしたり、興味津々な眼差しを送ったり
いつの間にか、ちょっとした人だかりができた輪の中心、唯のお説教はしばらく続いた


 「ゴメンなさい…」
コッテリと唯にしぼられたリトは、心身ともにげんなりしながらペコっと頭を下げた
まだまだ言い足りない唯だったが、「…もういいわよ」とだけ言うと、ツン、とそっぽを向ける
(古手川ってセリーヌといる時、なんかいつもより怖いんだよな…)
と、リトは頬を掻きながら溜め息をついた
唯は今、セリーヌとおしゃべりの最中
祭の賑わいのせいで、二人の会話は聞こえてこないけれど、楽しそうに話す二人にリトの視線が注ぐ
(でもなんかこう……ん〜…怖いってゆーより……)
お互いの浴衣を見せ合いっこしている光景
セリーヌと目の高さを合わせて話している姿
セリーヌの頭をナデナデしている横顔
口に手を当てて、ほんのりと小さく笑う仕草
(……なんなんだ? コレって…)
元気いっぱいに話すセリーヌに「うんうん」と頷いたり
さっき露天で買ってあげた綿菓子をセリーヌに「あ〜ん」して食べさせてもらったり
(古手川って…)
自分が今、どんな顔をして唯のことを見ているかなんて知るはずもなく
いつの間にか、リトは唯に釘付けになってしまっていた
「…………」
その時、一人ボーっとなっているリトの元に、祭の喧騒からこぼれた二人の会話が聞こえてくる
「…まったく、あなたを一人にするなんて困ったひとね」
「まうー」
(うぅ…まだ怒ってる…)
ちょっとしゅん…、となるリト
「———でも、パパを許してあげましょうね?」
(オレ、パパなのか!?)
驚くリトの前で唯は、セリーヌのぷにぷにほっぺをそっと両手で包みこむ
そして、真っすぐにセリーヌを見つめる
「だって、あんなに必死に走って、あんなに息を切らせて。あなたのためにあんなに一生
懸命なカオするんだもの。だから、今日だけ、特別に許してあげましょうね」
「まうっ!」
唯はセリーヌの頭をよしよしと撫でた
その感触がうれしいのか、セリーヌはヒマワリの様な笑顔を咲かせる
そして、唯も
小さな、ホントに小さな笑顔だけれど————
(古手川…)
その横顔にリトは、今度こそ、見惚れてしまった!
唯の笑顔。初めて見た時の事が頭の中を過る
二人で街中を走って逃げた時の事を


 咄嗟に握った唯の手。その手の感触を感じるのも忘れるほどに、必死に走った
 息を切らせながら、繋いだ手を決して離さないまま
 そして————
 
 『…ぷっ…あはは』
 『…取り乱しすぎよ。カッコわる』

 初めて見た唯の笑顔はちょっとした衝撃だった
 だってあまりにも普通な、本当に普通の女の子が見せる、自然な笑顔だったから
 その時、見た笑顔は、今もリトの胸の奥にしっかりと刻み込まれている


 少し前の事を振り返っていると、突然リトのケータイが鳴りだした
ケータイの画面は、美柑からの着信を告げている
リトはケータイを耳に当てると唯が来た事、花火の事、どこでみんなと待ち合せるかを
美柑と相談した

 「———花火が始まる10分ぐらい前でいいんじゃねーか? …ああ。心配すんなって。
セリーヌのメンドーはちゃんと見てるから。こっちは古手川もいるし。お前は、モモたち
と遊んでてくれよ。あいつら祭初めてだろ? ……だいじょうぶだって! …うん。じゃ、
広場で集合な」
リトはケータイを切った

「なんて言ってるの?」
「ああ、花火までまだ時間あるから、それまでいろいろ見て回ろーって事になった。古手
川、悪いんだけどセリーヌの事よろしく頼む。オレ、一人じゃムリっぽいし」
両手を合わせてお願いするリトに唯は、ツンとそっぽを向ける
「わ…私は別にいいわよ? セリーヌちゃん、大事だし。それにあなただけだと心許ないしね!」
「助かるよ! サンキュ、古手川!」
うれしそうな顔を向けてくるリトから唯は、ますます顔を遠ざける
(…そんな顔…私にしないでよ)
 いつからだろう。リトの笑顔にとっても弱くなったのは
リトの浮かべる笑顔を正面から見られなくなってしまったのは
この笑顔を前にすると、どうやっても、何をしても勝てなくなってしまう
それは本当に『魔法』のようで
初めて見た瞬間から、唯に決して解けない『魔法』をかけてしまっていた
「古手川? どしたんだ?」
「なっ、何でもないわよ!」
腕を組んでぷいっと明後日の方へ
なんだかわからないリトは、「また怒らしちまった」と頭をポリポリ
綿菓子をキレイに完食したセリーヌがリトのズボンを引っぱる
「ん?」
「まうー、まう」
セリーヌが両手を伸ばしてリトに抱っこのおねだり
「ちょっと待ってくれな」
ひょいっとセリーヌを抱き上げるリト
リトに抱っこされてうれしそうなセリーヌ
まるで最初から家族だったかのように二人は、仲睦まじく笑い合う
「まうー!」
出発進行! とリトに肩車されたセリーヌは、腕をあげた
唯は、リトとセリーヌ、二人の顔を交互に見つめると短く「ええ」と返し、リトの隣に並んだ
こうして、三人の夏祭りがようやく始まる


 「まう、まうー」
「あれはお面っつって、顔に被るんだよ。なんか欲しいのあるのか?」
「まうー!」
頭の上で、「あれは何まう?」「あっちに行きたいまうー」と賑やかなセリーヌに、リトは
笑みをこぼしながら付き合う
(本当に親子みたい…)
セリーヌの生い立ちを聞いているとはいえ、すっかり親娘の様な二人の雰囲気に、つい表
情を崩しそうになってしまう
そう、リトとセリーヌは、見ているだけであったかくなるような、少しだけ、うらやまし
くも思えてしまうような、不思議な気持ちにさせてくれるのだ
「古手川」
「え…!?」
「セリーヌのヤツ、お腹空いたみたいでさ。何か食おうかなって思ってるんだけど。古手
川は、どーする?」
「え、ええ、そうね。私も少し…」
「じゃー、そこのたこ焼きでいい?」
急に話をフラれて戸惑い気味の唯とは違い、リトは至っていつもの調子
唯の視線や気持ちに、まったく気づきもしない
リトはセリーヌを下に下ろすと、早速、たこ焼き屋のおじさんに注文を言いに行った

 「はい、たこ焼き二人前ね」
「どうも」
熱々のたこ焼きを受け取ったリトは、一つを唯に、そしてもう一つをセリーヌに
「熱いからよく冷まして食べような」
「まうー♪」
立ち上る湯気と一緒に、おしそうな匂いが三人の食欲を刺激する
リトは爪楊枝をたこ焼きに刺すと、それを「ふーふー」する
「まう、まう」
「ちょっと待ってろって」
セリーヌはもう待ちきれないのか、まだ少し湯気が出ているたこ焼きに口を近づける
「ほら、まだ熱いかもしれないから、気をつけて食うんだぞ?」
「まう!」
大きな口を開けて、たこ焼きをパクっ!
「うまいか?」
「はふ…ふっ…うま、うま♪」
たこ焼きの様にほっぺを丸くさせながら、セリーヌはおいしそうに笑みをこぼした
「そっか。よかったな!」
リトの少し大きな手がセリーヌの頭をナデナデする
初めて食べるたこ焼きよりも、リトの"ナデナデ"がうれしいのか、セリーヌはさっきの笑顔の
数倍も輝く笑顔を浮かべた
「……っ」
二人の光景にすっかり目を奪われてしまった唯は、冷たくなったたこ焼きをようやく口にする 
「まーう」
「……」
リトが「ふーふー」してたこ焼きを冷ましてあげる度に、セリーヌに「あーん」して
食べさせてあげる度に
唯の胸の中である想いが強く強く、芽生えていく
(結城くんってやっぱり優しい…)
リトの優しい表情に、見ているだけで胸があったかくなっていく
たこ焼きを手に持ったまま、ぼーっとリトの横顔に見蕩れていると、唯の視線に気づいた
リトが振り返る
「あれ? 古手川、食わないのか?」
「えっ、ち、違…」
「ん? もしかして……熱くて食えないとか? 古手川、ネコ舌?」
「なっ、何でそうなるのよ!?」
本当は、リトに言われた通りネコ舌なのだが、リトに知られる事に恥ずかしさを覚えた唯
は、つい全力で否定してしまう
ツン、と顔を背ける唯の浴衣の裾をセリーヌの手がクイクイ、と引っぱる
「セリーヌちゃん? どうしたの?」
「まう、まう」
セリーヌは唯の浴衣を引っぱりながら、反対の手に持ったたこ焼きを唯に差し出す
「え…、もしかして…私に?」
「まう!」
コクン、と頷くセリーヌ
唯は膝を屈めると、セリーヌと視線を合わせる
「まう!」
「……っ」
目の前にあるたこ焼きは、さっき、リトが「ふーふー」してくれたばかりのもの
自分の顔がどうにも熱くなってしまうのを感じながら、唯は、恥ずかしそうに口を開けた
「あ…あーん」
「まーう♪」
セリーヌの笑顔と一緒にたこ焼きは、唯の口の中へ
さっき食べたたこ焼きと違って、何だかずっとおいしく思えるのは、やっぱりリトのおかげ?
「……っ!?」
赤くなった頬をたこ焼きの熱さのせいにしながら、唯は、お礼も込めてセリーヌをナデナデする
「まう、まう♪」
リトと唯。二人からナデナデをもらったセリーヌは、それはもううれしそうで、その場を
ピョンピョンと飛び跳ねる
「セリーヌちゃん、何だかうれしそうね」
口に手を当てながらジッとセリーヌに視線を注ぐ唯の横顔に、リトはハッとなる
(古手川、笑ってる…!)
セリーヌを見つめる唯の顔は、学校でも休みの日に会った時にも見た事がない、ずっと
ずっと柔らかい表情で、その口元に淡い笑みを浮かべていた
トクン、とリトの胸が鳴った
(……な…なんだこの感じ…!?)
ソレがなんなのか、リトにはまだ理解できない
「次はどこに行きたい?」
「まうー」
唯に駆け寄ったセリーヌは、唯の手を取ると、甘いシロップが並ぶカキ氷屋に引っぱっていく