長い長い夏休みの間中、結城家では、相変わらずの騒動が毎日の様に繰り広げられていた
そんな慌ただしくも賑やかで楽しい夏休みも残すところ今日だけ
リトやララ達は、それぞれ思い思いの最後の日を満喫している
そんな中、広い家の一室から少女の艶かし声が聞こえてくる
「ん…んっく…」
ベッドの上で自らの下腹部に指を這わせる美柑
スカートは捲れ上がり、下着が膝まで下がっている姿は、普段の美柑からは想像もできない光景だった
すでに割れ目から溢れた愛液で指は、淫らな光を帯びている
シーツにも小さな染みが出来ていた
美柑の指が割れ目からクリトリスへと伸び、先端を軽く摘まむ
「あぁあ…ぁ」
声はさらに高くなり、美柑は体を丸めると肩で息をし始める
夏の暑さもあるが、美柑の体は、これまでの行為でたっぷり汗を掻いていた
「…何やってんだろ、私…。洗濯物とか、夕飯の仕度とかあるのにな…」
言葉とは裏腹に、美柑の指は再び動き始める
クリトリスを指で転がしながら、反対の手で乳首を摘まむ
「んッ…く…ンン」
美柑の下半身がまたガクガク、と震え出す
震える指先がクリトリスの先端をキュッと摘まんだ瞬間、美柑の背中に波が走った
「んっああぁあッ―――ッ!!」
丸めた体が二度三度、ビクンビクン、と痙攣したかの様に跳ねる
美柑は大きく息を吐いた
そして壁に背中を預ける
「はっ…は…ぁ、はぁ…はぁ…っ…」
肩をはずませながら乱れた息を整える美柑
少しすると、薄ピンクのキャミソールの紐がズリ下がり、美柑の膨らみかけの胸が露わになった
「今日、夕飯どーしよ…」
露わになった胸を直そうともせず、美柑の口はうわ言を呟く
「その前に買い物に行かなきゃな…」
どこかボーっとした目をしたまま、美柑の手が秘所へと伸びる
クチュリ、と水音が鳴り、美柑の綺麗な眉が歪む
美柑は壁にもたれながら、再び自慰を再開させた
「あっ、ああ、ん…ンっ」
額に浮き出た汗の珠が頬を伝い、顎を通り、胸へと落ちていく
爪がピンク色の乳首の先端を擦ると、美柑の背中がのけ反った
「あぁあ、ンン…っ」
感度がどんどん増していく体に正比例する様に美柑の声も大きくなっていく
もしかしたら自分の声が廊下に漏れているかもしれない、一瞬そんな事を考えてしまうが、
すでに体も思考も止まらない領域に入っていた
そして、その吐息の様な幼い喘ぎ声の中に呟き声が混じり始める
「…っト…、ああ、ふぁ、っんっん…リ…ぉ」
美柑の頭の中にリトの顔が浮かぶ
優しい声をかけてくれて、温かい手で触れてくれて、そして笑顔を見せてくれて
「…と…リト…リトぉ…リト…」
美柑の鼻がかすかにリトの匂いを捕える
例えそれが幻であったとしても、美柑にとっては十分だった
頭の中のリトの存在は、さっきよりも、より鮮明に大きくなる
「リト…、んっンン…リトぉ」
すでに美柑の声は、危惧した通り廊下にも届くほどに大きくなっていた
それがわかっていても今の美柑は気にならない
頭のどこかで"そんなコト、どーでもいいよ"と声がする
そう、今は頭の中でリトと絡み合う事の方が最優先
膣内は愛液が泡立つほどに掻き回され、溢れ出た愛液が美柑の指を伝いシーツの染みを広げる
「リトぉ…あふっ、リぃ…―――ッッ!!!?」
爪先がクリトリスを擦った瞬間、これまでで一番大きな震えが美柑を襲った
「はっ…はふ…ンン…ンくっ」
ビクンビクン、と脈動する身体
シーツはすでにオネショした痕の様になっていた
美柑はその上に荒い息を吐きながらゴロン、と横になった
お腹や胸が上下に激しく動いて、息を整えようする
窓から吹き込んだ午後の暑い風が美柑の汗ばんだ髪を乱す
「リト…」
夏休み最後の日の午後、美柑の想いは人知れず、募っていく


夕食の後、美柑は一人、後片付けに追われていた
リビングにあるお皿をトレイに乗せキッチンまで運んでくる途中、何気なくお皿に目を落とす
「今日もみんな残さず食べてくれたな」
お皿をそっとシンクの中に入れながら、美柑は呟いた
お皿はもちろん、炊飯器の中身まで空っぽだ
毎日の事とは言え、やっぱりうれしくなる
「おいしい」と言ってくれるみんなの顔や、「お代り」と言ってくれる声も
何度見ても、何度聞いてもうれしくなる
ハンバーグのソースがついたお皿をスポンジで洗っている時、ふいにリトの顔が頭に浮かんだ
初めて「おいしい」って言ってくれたのも、「お代り」してくれたのも
みんなリトだ
いつもの声で
いつもの笑顔で
「そう言えば、初めてお弁当作った時――――」

中学になったリトのお弁当を毎日、作ったのはもちろん美柑
けれど入学したての頃は、「オレならパンでいいって」と、リトはずっと遠慮していた
それでも美柑は、「リトのお弁当は、わたしがつくる!」と言って、一歩も引き下がらなかった
結局、リトが折れて、美柑は毎日お弁当を作る事になったのだが……
そのせいで毎朝、うんと早起きになった
夕飯の他にお弁当の献立も考えないといけなくなったし
一回の買い物の量も増えてしまった
もちろん出費もだ
当り前の事とは言え、当時、小学生になったばかりの美柑にとっては、とてつもない重労働
しかし美柑は、ちっとも苦だとは思わなかった
毎日、空っぽのお弁当箱を見るだけで、うれしくなってしまう
おまけにリトが「クラスのヤツらが、オレの弁当うらやましがってさ。昼休み、大変なん
だぜ」なんて言うものだから、うれしさに拍車がかかって仕方がない
今でも思い出すだけで、顔が綻んでしまう
その中でも初めてお弁当を作った日の夜の事は、今でも鮮明に思い出せる
空っぽのお弁当箱を美柑に手渡すとリトは、「すげーうまかったよ。明日も頼むな」と、頭
をクシャっと撫でてくれたのだ
その時、リトが浮かべた笑顔に思わず頬が熱くなってしまった
胸の中に生まれたまだ理解できない感触にこそばゆくなってしまって
まともに顔が見られなくなってしまって
それから、もじもじしてしまって
それから、それから――――

「……っ」
お皿をキレイに洗い終えた美柑は、自分の恥ずかしい思い出に蓋をする様に、水道の蛇口を閉じた
「何考えてんだろ…私」
濡れた手をタオルで拭きながら、おかしな方向に脱線しそうになっている自分に溜め息をつく美柑
ふと壁にかかったカレンダーが目に入る
目は日付を追っていき、翌月の頭を捉える
「ああ、そっか。明後日からまたお弁当いるんだ。じゃあ、明日の買い物の時、その分も買って…」
頭の中のメモ用紙に次々と、新しい食材を書き足していく美柑
一通り書き足しが終わると、美柑は口のあたりに指を当てて考え込む
「ん~…、でも何作ろ…? ハンバーグは今日作ったし、カラアゲは明日だし…」
可愛い眉を寄せて新学期最初のお弁当の献立に頭を巡らせる美柑だったが、中々、考えがまとまらない
美柑の足は悩みながら歩き始める
愛用のスリッパを鳴らして、向かった先は、リビングだ
カチャっとドアノブを回すと、ドアの向こうから賑やかな声がキッチンに入ってくる
「リト。お弁当なんだけど、何か食べたいモノ…で…も―――ッ!?」
ドアノブを握ったまま、美柑は固まった
リビングのソファの上でモモがリトに迫っていたのだ
というか、もう密着していると言っていいかもしれない
美柑の見ている前で、二人の体がさらにくっつく
思わず目が険しくなる美柑だったが、一番に気に障るのがリトの態度だった
「リトさん」
「ちょっ…モモ!?」
一応、顔を赤くして慌てているのだけれど、だからと言って、別にモモを押しのけるわけでもなく
むしろ、モモのされるがままになっている
「むぅ…」
美柑のほっぺが膨らむ
モモの態度もそうだが、リトの情けない態度に何だかムカムカしてくる
美柑はリビングに背を向けると、ドアを閉めた
「もぅ! モモさんもモモさんだけど、リトもリトだよ! なにデレデレしてるのよ! 
もう当分お弁当は、ピーマンいっぱいにするからね!」
と、一人息を荒くする美柑の怒りはしばらく治まる事はなく、その後のお風呂まで続いた

「はぁ~」
湯船に浸かりながら美柑は、この日、何度目かになる溜め息をついた
溜め息の原因は、さっきあった騒動
リトの入浴中にモモが入って来たのだ
さすがにこれには美柑も我慢の限界だったようで、モモを捕まえると注意をしたのだが……
気持ちは晴れるどころか、ますます曇っていく
ちゃぷ…、と下唇のあたりまで湯船に浸かると、美柑は体操座りをした
なんとなく体を小さく、丸くしたくなった
「……そう言えば、小さい頃、私もリトとおフロに入ってたっけ」
背中を洗いっこしたり
頭を洗ってもらったり
お風呂のおもちゃで遊んだり
「…私、シャンプーする時、なにも見えなくなるのが怖くて、頭洗うのがずっとイヤだったな…」
でもそんな時は、きまって――――

「心配するなって! にいちゃんがついてる!」
「ほ…ホントぉ…?」
「ああ。こうやって美柑の手を握っててやるからな!」
「でも、お手てつないでたら、頭あらえないよ?」
「そ、そうだった!? ああ、えっと…じゃ、じゃあしりとりでもするか!」
「しりとり?」
「にいちゃんの声が近くで聞こえてたら安心するだろ?」
「うん。する」
「じゃあ、最初はにいちゃんからな。えっと…」

美柑は幼い頃のおぼろげな記憶を集める様に、両手でお湯を掬い上げた
リトと入るお風呂タイムは、小さい頃の美柑にとって、一日の内で二番目にうれしい時間だった
ちなみに一番目は、一緒のお布団で一緒に寝る事
今は大きくなって一緒にお風呂に入る事も一緒に寝る事もなくなってしまった
それは当然の事なのだけれども
「はぁ…」
小さな溜め息が手の中のお湯を揺らし、お湯に映る美柑の瞳がゆらゆらと揺れ動く
小さい頃は、二人で入っても、すっごく大きく感じたお風呂場
けれど今でも大きく、広く感じてしまう
一人で入るお風呂は、なんだか寂しくて、楽しくなくて――――
手の中のお湯に映る自分の顔がひどく寂しげな事に気づいた美柑は、慌ててお湯を湯船の中に戻した
「……バカじゃないの。私…!」
そう呟くと、美柑は鼻の下まで湯船に浸かり、ブクブクと泡を立てた


翌日のお昼頃
今日は始業式だけだったため早めに帰宅する事が出来た美柑は、学校帰りに昨日計画した
買い物をしに商店街へと向かった
人数が増えたため一回の買い物の量もぐんと増えてしまい、重い買い物袋を両手にいっぱい
下げていると、同じく始業式帰りのリトとララに出会い、二人に手伝ってもらった
「ありがと。リト、ララさん」
「いいって。いいって」
「つかこんな量多いんだったら、オレに言えばいいのに」
「私一人でもいけると思ったんだけどね」
玄関で靴を脱ぎ終えると、美柑は苦笑を浮かべた
「リト、リト。ゲームしよーよ」
「ああ。服着替えたらな」
なんて二人の会話を背中で聞きながら美柑はキッチンの方へ歩いていく
重い買い物袋をテーブルの上に置くと、美柑はふーっと汗を拭った
「今日も暑いな…」
冷蔵庫からお気に入りのアイスを一本取りだし、早速口に含む美柑
冷たくて甘い味が口の中に広がり、買い物の疲労を癒してくれる
「あ、そーいえば、夜から雨とか言ってたような…」
ふと思い出したのは、昨日の夜の天気予報
夜からの降水確率90%という嫌な予測に美柑の顔が少し曇る
窓から空を見上げると、雨雲一つない澄み切った青空が一面に広がっている
「まだだいじょうぶみたいだね。じゃあ、今のうちに」
買い物袋から食材を取り出し、それを冷蔵庫に入れていきながら、美柑の頭は、この後の
予定を高速で組み立てていく
雨が降った場合と降らなかった場合、夜からじゃなくて夕方から降りだした場合など
それはもう小学生と言うより、一人前の主婦の様だった
冷蔵庫に詰め終わると、美柑は愛用のエプロンを手に取る
今日の夕飯の献立は、リトの好物の唐揚げがメイン
「リト、喜ぶかな」
なんてつい独り言を言ってしまう美柑
「そうだ。リトに何個食べるか聞いとこ」
リビングに向かう足取りもなんだか軽やかだ
しかしその足取りはドアの手前でピタッと止まってしまう
「ってなに私、一人で楽しそうにやってんだろ…。シャキっとしろ!」
キッチンで一人そんな事をしていると、リビングから何やら楽しそうな声が聞こえてくる

「リトさんってお上手なんですね」
「そんな事ねーよ。これぐらい誰にだって出来るって」
「そうですか? とってもテクニシャンだと思いますよ?」
と、妖しい微笑みと共にモモの手がするするとリトの腕を伝い、携帯ゲーム機を持つ手に重ねられる
「っと、悪いけど、今イイとこなんだ」
「フフフ。すみません」
手を口に当ててモモは笑顔で謝った

「……」
一連の光景に、少しだけ開けたドアの隙間から様子を眺めていた美柑の目が鋭いものに変わっていく
ここ最近、さらにエスカレートしているモモのアピールが目に余るのはもちろんだが
それ以上に美柑の心をざわつかせていたのは、リトだ
(……なにやってんの? リト…)
今やモモは、リトの首に両腕を回し、頬に顔を寄せている
その事にリトは、特に何か注意をしているわけでもなく、ゲームに没頭したまま
夢中になっているからモモの事が気にならなくなっているのかもしれない
なんて都合の良い解釈は、残念ながら美柑は持ち合わせていなかった
ざわざわとざわつく心は、次第にイライラへと変わっていく
「……はぁ」
深く、短い溜め息をつく美柑
(…何だろコレ…。すっごくイライラしてくる)
その先を考えるよりも、足が動く方が速かった
美柑はスリッパを必要以上にパタパタと鳴らすと、密着する二人を横目に通り過ぎ、そし
てリビングのドアを開けた
「美柑?」
「……」
リトの呼びかけに美柑は応えない
そのままエプロンを玄関脇に脱ぎ捨てると、靴を履いてしまう
さすがに気になったのか。モモを押しのけて玄関に向かってくるリトの足音が聞こえるが、無視
トントン、と靴を踏み馴らしているとようやくリトが玄関に顔を覗かせた
「どっか行くのか?」
「……別に。散歩」
横顔しか見えないため、美柑の表情がリトにはいまいちわからない
ただいつもとなんだか様子が違う事だけは、わかる
「な…なァ、もしかしてなんか怒ってる、とか?」
「……」
「美柑?」
「放っておいて」
「お、おい」
リトの声を背に、美柑は玄関を飛び出してしまった
空は天気予報の予測とは違い、すでにどんよりとした雨雲が立ち込め、今にも雨が降り出
しそうな気配になっていた


息を切らせながらやって来たのは、彩南町にあるいつもの商店街
勢いで来たとは言え、人が少ないところよりも人が多いところに来たのは、やはり人恋し
さがあるからだろうか
彩南商店街は、お昼前に買い物に来た時以上に行き交う人で溢れている
気をつけないとすぐにぶつかってしまいそうなほどに
前方からやってくる家族連れとぶつかりそうになってしまうのを、美柑はひょいっとかわした
するとある光景が美柑の目に飛び込んでくる
アイスクリーム屋の前にあるベンチに座る幼い兄と妹の二人
おいしそうにアイスを頬張る妹の口をハンカチで拭いてあげる兄の姿に、美柑の足は完全
に止まってしまった
「うまいか?」
「うん。冷たくて、甘くて、とってもおいしーよ」
なんて会話が耳に聞こえてくる
「……」
食い入る様に兄妹を見つめる美柑の脳裏に、幼い日の思い出が甦る

美柑とリトがずっとずっと小さかった、夏の日差しが照りつけるある日の午後
「わぁ~。おいしそー」
アイスクリーム屋のウィンドウに頭をくっつけてアイスを見つめる美柑
目の前でコーンに乗せられる色取り取りのアイスたちに、幼い美柑の瞳がキラキラ輝く
「ん、アイス食べたいのか?」
「え!? べ、べつにいいよ!」
隣にいるリトに美柑は慌てて両手を振って「はやく帰ろ」とアピールを繰り返す
二人は林檎に頼まれて、お使いの真っ最中なのだ
後ろ髪を引かれる思いでアイスクリーム屋の前から立ち去ろうとする美柑に、リトはクス
っと笑うと、美柑の頭をポンポンと撫でた
そしてポケットからお金を取り出して、ショップの店員さんに指であれこれと注文をし始めた
キョトン、とする自分にリトは、ニッと笑いながらアイスを差し出してくれた
「いいの? おにーちゃん。だって、お菓子たべられなくなっちゃうよ?」
「いいって。気にすんな。それに一人で食べるお菓子より、こーやって美柑と食べるアイ
スの方がずっとウマイからな」
「う、うん!」
戸惑い続けていた美柑の顔に、初めてアイスを食べられるうれしさがいっぱいに溢れる
美柑はリトの隣に並ぶと、その手をギュッと握りしめた
「おいしーね、アイス」
「ああ。また食べにこよーな」
「うん」

その時、食べたアイスの味は、今でも覚えている
リトは覚えているかな?
それ以来、私がアイスを好きになった事も

兄妹の微笑ましい光景につい感傷的になっている美柑の耳に、不吉な音が聞こえ始めた
ゴロゴロ、ゴロゴロ
美柑の背中がビクンと震える
家で見た時は晴れ渡っていた空は、いつの間にか雨雲で真っ黒に染まっていた
時折、ピカっと光ったかと思えば、遠くの方で音が鳴る
「か…帰ろ」
家の方向に足を向けた時、美柑の足が止まる
あんな出て行き方をした手前、どんな顔をして帰ればいいのかわからない
なんて言えばいいのか
リトの顔だって見られないかもしれない
「……どうしよ…」
立ち止り、悩む美柑の頬にポツリと雨粒が落ちてきた
空を見上げると、雨粒は次第に数を増やし、すぐに雨音へと変わっていく
「サイアクだ…」
美柑は駈け出した
向かう先は、家―――ではなく。雨宿りができる場所だった

雨足が強くなるにつれ、美柑の足も速くなっていく
アスファルトの上に広がる水溜りをパシャパシャ、と踏みながら、美柑は持っていたバッグで頭を覆った
そしてついに空に稲光がピカっと走る
「キャっ!?」
美柑は誰もないバス停に逃げ込んだ
木造の見るからに古い造りのバス停は、屋根はあるけれど、ベンチどころか小さな椅子すらない
「濡れないだけマシか…」
バッグを開き、中からミニタオルを取り出すとさっと顔を拭いていく
続いて雨粒が滴り落ちる髪を拭こうとした時、二回目の雷が空を引き裂いた
「わ―――ッッ!?」
思わず両腕で顔を隠し、目を閉じて、その場に蹲ってしまう美柑
ゴロゴロ、と雷が遠くの方に過ぎ去っても立てない
立つ事ができなかった
「うぅ…。カンベンしてほしいよぉ…」
美柑の白い肩がカタカタと震える
どんなに耳と目を覆っても雷の恐怖からは、逃れる事が出来ないでいた
小さな体がさらに小さくなる
しかし神様は、そんなに美柑にますますイタズラがしたくなったのか
さきほどよりもさらに大きな雷を落としてしまう
ピカッと雷光が辺りを包み込み、次の瞬間、まるで目の前で爆発でもあったかのかと思う
ほどの大音量が響き渡る
「ひゃ―――!!?」
美柑は目尻に涙を浮かべながら、体を小さく小さくさせる
手でしっかりと耳を覆い、目はギュッと瞑り、しかし今度は、まったく利き目がなかった
目尻に浮かぶ涙の量が増えていく
「…っ…く…ひっ…ぐ…」
腕の隙間から漏れたか細い声は、次第に大きくなっていき、やがて嗚咽へと変わる
雨が降りしきる誰もない薄暗いバス停の中、美柑は、一人声を押し殺して泣いた
そんな状況でも雷は、容赦しない
雷が落ちる度に美柑の体は、ビクンと震え、泣き声が後に続く
涙で滲む世界に映るのは、リトの顔だった
「美柑」といつもの声で、優しく笑いかけてくれる
「……ぉ…ト…リト……助けて、リト…」
必死の叫びは、しかし強い雨音にかき消されてしまう
それでも美柑はリトの名前を呼び続けた
「…リト…リト…助けて」

「おにーちゃん。カミナリこわいよぉ」
「だいじょうぶだ。にーちゃんがついてる」
ギュッと抱きしめてくれて、涙が止まるまで頭を撫でてくれて
大丈夫になるまで優しい言葉をかけ続けてくれて

幼い日の思い出と共に、リトを呼ぶ声が強くなっていく
「リト…。助けてっ!」
稲光が世界を包み、美柑の影を木造の壁に浮かび上がらせる
美柑の体はまた小さく、震えは大きくなる
「う…ううっ…」
目尻から溢れた涙は、髪から滴る雨粒と一緒になり、美柑の顔をさらに濡らす
その時、背後で足音が聞こえた
誰もいなかったとはいえ、ここはバス停
バスに乗りに誰か来たのだろうか、と美柑は、両腕で抱えていた頭をほんの少し上げた
人影はこちらへと近づいて来て、美柑の前で立ち止まった
「…なに…?」
涙で滲む視界にぼんやりと浮かぶシルエット
次第に形を成していき、やがて、はっきりと目に浮かぶ様になった
それは美柑がとても見慣れた顔であり、今一番、会いたいと願う顔だった
「美柑っ!!」
「…り…リト…!?」
肩で息をするリトの服は、ぐっしょりと濡れていた
美柑を探すために全力で駆け回るリトに、傘は何の役にも立たなかった
すぐに泣き腫らした美柑に気づいたリトは、美柑に駆け寄り膝を屈めた
「こんなトコで何やってんだよ!? 探したんだぞ!」
「さが…し…?」
「とりあえずコレ着ろって」
リトは上着を脱ぐと、美柑の背中にかぶせた
背中にほわっと広がる温かさと匂い
美柑は上着の裾をキュッと握りしめる
(――――リトの匂いだ…)
リトが来てくれた
それも自分を探して
雨の中、びしょ濡れになりながら
美柑の目からまた大粒の涙がこぼれ落ちそうになる
その涙がそっと拭い取られた
「ん…」
横に視線を向けると、リトがハンカチを持っていた
そのハンカチは、美柑が「マナーだよ。ちゃんと持っているよーに」と事あるごとに釘を
刺して持たせている物だ
リトは美柑のくしゃくしゃになった顔をハンカチで拭いてやると、美柑の頭を撫でた
何度も、何度も
「だいじょうぶか?」
「……子供じゃないんだけど?」
安心した事で今度は気恥ずかしさが湧き上がってしまい、美柑はリトから目をそむけた
けれども、代わりに黙ってリトの手を握りしめた
離れない様に力いっぱい、ギュッと
美柑と手を繋いだのは久しぶりの事だとはいえ、手の中の美柑の手は、ひどく冷たくて
小さくて――――
リトは何も言わず、美柑の濡れた体を胸に抱き寄せた
「りっ、リト!?」
「心配すんな。オレがついてる」
「……ッ」

小さい時、なかなか泣き止まない自分をいつもこんな風に抱き締めて、「大丈夫。心配
するな」って言ってたな…――――

美柑の鼻腔をリトの匂いがいっぱいにしていく
美柑の体をリトの温もりが優しく包み込む
それらは美柑の胸の中にこれまで溜め込んでいた想いを一気に解放させていく
美柑は両腕でリトにギュ~っとしがみ付いた
胸に顔をうずめ、そして怖かった時の感情を全部吐き出した
リトは美柑の言葉にならない声を全て受け止めながら、美柑の頭を撫で続けた

いつの間にか雨は止んでいて、雨雲の隙間から日の光が地上に差していた

「雨、止んだね」
「そーみたいだな」
美柑はリトと手を繋いだまま、まだ薄暗い空を見上げた
二羽の小鳥がチュンチュンと仲良さそうに飛んでいる光景を美柑は、目で追った
そんな美柑の横顔にリトは笑みを浮かべる
「もう、大丈夫みたいだな」
「…まーね」
繋いだままの美柑の手は、震えこそ治まったものの、まだ冷たい
温もりを求める様に美柑の手がリトの手を強く握りしめる
「その…ありがと。リト」
「ん。気にすんなって」
「……ッ!?」
赤く染まる美柑に、リトはニッと笑いかける
リトの笑顔は、一つとして同じモノはないけれど
そのどれもが胸の中を温かくしてくれて、キュン、と締め付ける
美柑はリトからぷぃっと目を逸らす
(…そんな顔するからみんなリトの事スキになっちゃうんだよ。……私、だって…)
急にもじもじとしだす美柑にリトは眉を寄せた
「どした?」
「なっ、なんでもないよ! 気にしないで!」
「ふ~ん。じゃあ、そろそろ帰るか? このままだとカゼ引いちまいそーだしな」
「そ、そだね」
まともに返事を返せない
おかしな緊張で口の中が渇く
目なんて絶対に合わせられない
それなのに当のリトは、「おー。向こうに虹が見えるぞ」なんて言っている
美柑は、晴れ間が覗く空にかかる虹を見ながら「ホントだ」と返しつつ、小声でボソッと呟いた
「…リトの鈍感」


家に着いた頃には、夏場だというのにすっかり体は冷え切ってしまっていた
ブルブルと震える手で玄関の扉を開けると、家の中は、出かける前の喧騒が嘘みたいに
しーん、と静まり返っていた
「あれ…? 誰もいない…?」
「ああ。みんな美柑の事を探しに行ったんだよ」
「え…!?」
「雨降ってきたしな。一応、みんなには、美柑が見つかったって連絡いれといたけど、誰
も帰ってないって事はどっか寄ってんのかな?」
「そう…なんだ」
脱衣所のドアの手前に置いてある、大急ぎで取り入れた様子がありありとわかる洗濯物を
見ながら、美柑の脳裏にララやモモやナナの顔が浮かぶ
「みんな…」
「あとでみんなに礼言っとけよ?」
「うん…」
反省とうれしさが混じる美柑の頭をリトは、クシャっと撫でると、脱衣所から大きなタオルを一枚持って来た
「ほら。これで頭拭けよ」
「ありがと」
「じゃあフロ沸かしてくれるから、ちょっと待っててくれな」
「そんなの私がやるよ」
「いいから。美柑はちゃんと体拭いてろって」
リトはそう言うと、タオル越しに美柑の頭をポンと撫でた
頭から垂れ下がるタオルの隙間から見えるリトの背中を美柑は、ジッと見つめ続けた
濡れた体にタオルの柔らかい生地の感触が心地いい
けれども、リトの優しさの方がずっと心地よくて、そして温かい
「…やさしいな、リト…」
リトは優しい
とっても優しい匂いがする
リトの優しさを小さい頃からずっと見てきた美柑は、それが誰よりもわかる
今日だって、ついさっきだって
大きな優しさから、何気ない優しさまで
いつも笑顔と一緒に届けてくれる
美柑にとってそれは、昔からちっとも変わらないリトの大好きなところの一つだ

「―――だけどもう、私だけのリトってわけじゃなくなったんだよね…」

美柑の寂しげな声が誰もいない玄関に落ちていく
美柑は頭のタオルを握りしめると、お風呂に向かった

風呂場では、リトがタワシを手に浴槽の掃除をしていた
袖を捲り、ゴシゴシ、と床を磨き終えると、ふ~っと溜め息
「…にしても美柑のヤツ、これを毎日やってんだもんなぁ。ホントすげえぜ」
関心しているばかりじゃなく、もっと美柑の負担を軽くしてやろう、なんて考えながら、
リトはシャワーの蛇口に手を伸ばした
その時、背後に物音がした
気配はリトが振り向くよりも速く、リトの腰に両腕を回した
「え…!? ちょ…」
誰が抱き付いてきたのか、リトにはすぐにわかった
けれどもあまりの事態に、体が思う様に反応しない
「み、美柑…?」
「……」
美柑は無言のまま、リトの背中に顔をうずめた
そしてさらに体を寄せる
濡れた服の下にある、まだ膨らみかけの小さな胸の感触が、Tシャツを通してリトに伝わる
リトは思わず息をするのも忘れそうになってしまった
「……っ!? ちょ…な、何やって…!!」
「リト…」
美柑のか細い腕がさらに締まり、美柑はリトの背中に向かって消え入りそうな声で呟く
「リト…。どこにも行っちゃイヤだよ…」
「美柑? 今日はもうどこにも行かねーよ。それよりも、服代えないとカゼ引くぞ?」
バクバクと自分の心臓が高鳴っていると知りながら、リトは努めて平常を装い続けた
美柑はリトの反応に不満そうに顔を曇らせる
しかし美柑は、背中に額を当てたまま何も言おうとはしなかった
無反応な美柑にリトは頬をポリポリと掻く
「どーしたんだよ? らしくないんじゃねーか?」
(…人の気持ちも知らないで、ホントに鈍いな。リトは…)
むぅ…、とジト目で背中を睨みつける美柑の様子が背中越しでもわかるのか、リトの口に
苦笑が浮かぶ
「もしかして…」
「へ?」
リトは美柑の両腕を解くと、クルっと体の向きを変え、そして美柑の前髪を上げると、
自分の額を美柑の額にくっつけた
「えっ…ぁ…!?」
突然の急接近に美柑の心拍数がいっきに急上昇を始める
顔もカァっと赤くなっていく
「ん~…熱はないよなぁ。とりあえずもう少しでフロ入れるから、体温かくして待っててくれな」
美柑はリトの言葉なんて聞いていなかった
自分の心臓の音がうるさくて、それどころではなかった
その間も美柑のホッペは、ますます熱くなっていく
「って美柑? お~い」
(もうどこまで鈍いんだよ! こ、こーなったら…)
美柑は自分を落ち着かせるために小さく深呼吸を数回行った
そして少しだけ前に踏み出した
「その……リトにさっきのお礼がしたいって思って」
「お礼? だからそんなのいいって。オレよりもララ達に言ってやれよ」
「リトじゃなきゃダメなの! リトがいい!」
「美柑…?」
声を大きくする美柑にリトは目を瞬かせた
美柑はさらに踏み出す
この鈍感すぎる兄に気持ちを伝えるには、自分から動かないとダメなのだ
美柑とリトの距離は、さっき額を合わせた距離よりも近い
驚きながらも顔を赤くするリトが目にいっぱいに映る
そして美柑は、最後の一歩を踏み出した
リトの顔を見つめたまま、腕を首に回し、ギュッと抱き寄せる
「え? ちょ…!?」
「ん…」
リトと美柑の唇が重なる
「―――!?」
「……っ」
驚いて目を見開くリトとは違い、美柑はドキドキとうるさい自分の鼓動を聞きながらも
キスの感触をちゃんと味わっていた
キスの時間は、一秒、二秒、三秒と続き
(み、美柑―――!?)
「んん…っ…ぷはっ」
きっかり十秒後にキスを終え、美柑は顔を離した
後に残ったのは、唇にまだあるキスの感触
そして、この後、どうしたらいいのかまったくわからない空気だった
顔を真っ赤にさせ、目を合わそうとはしない美柑
何が起こったのか今だ理解できず、目をパチクリと何度も瞬かせるリト
その間もドキン、ドキン、とキスをしている時以上の胸の鼓動が二人の中で鳴り響く
水道の蛇口から落ちた水滴が浴槽の中にポチャンと落ちるのがきっかけとなってリトは、
ようやく腰を浮かした

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最終更新:2011年03月05日 11:37