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ミナルとモレクは共にリエステールより西にあれど、大きくその様相を異にする対象的な存在でもある。
かたや、山男の集う土ぼこりにまみれた鉱山の町。  かたや、大陸一水が美しいとされる河川の町。
それゆえに、それぞれに集う人達は見事なまでに分かれる事が多く、片方によく行く人でも、もう片方にはあまり足を運ばないと言う人は少なくはなかった。

「どっちがミナル行きかな」
それは、画家アウロラと言えども同じらしく、向かうとすれば比較的静かな河川の町を選ぶことの方が多い。
……とはいえ、東西問わず馬車が集まるこの広場は、それだけに集う人間もなかなかに混沌としている様子だった。
言ってしまえば、人波がすごくて目的の馬車がどれなのかがわからない。
丁度お昼の馬車が出ようかと言う時間だけに、その勢いはひとしおである。
「……それにしたって騒がしいけど、何かあったのかな?」
……そう、ひとしお、と言うにしても人が多すぎるし、どちらかと言えば集まっている人達は馬車でどこかに行こうという様子の者達より、なんとなく物見遊山に来ただけのような一般人の方が多く感じるほどだった。
旅支度を済ませているような人間は、5割いるかいないかだろう。
「そこのキミ! 危ないから離れなさい」
「え? あの、何かあったんですか? 馬車は出てないんですか?」
そうして眺めていると、自警団のナイトが一人、慌てた様子でアウロラの方へと向かって来て、そう呼びかけてきた。
―さすがにここまでくると、何らかの事件の匂いも濃くなってくる。
よく見れば、あっちこっちで蹴散らされた荷物や、なにかの設備が粉々にされたような木片の山が見え、さらにもう少し耳を傾けてみれば、聞こえてくる人々の声も、いつもの喧騒というより、悲鳴かそういったものに近いようにも感じられた。
「荷物が崩れたはずみで馬が暴れ出して、馬車を出すどころじゃないんだ!」
「…ええっ!?」

ガシャーン!

アウロラが驚き叫ぶとほぼ同時に、どこかでまた荷物が崩れる音が聞こえてきた。
その付近にいたらしい人達も、蜘蛛の子を散らすような勢いでその場所から離れていく。
「今支援士と自警団で収拾にあたっている、キミは早く離れなさい」
「は、はい……」
人間と言うものは、こういった騒ぎには自分に被害が及ばない限り、遠巻きに見ている事が好きな動物らしい。
人ごみでいまいちよく理解できなかったが、先程の音と周囲の様子から、目の前にいる人達はいわゆる”野次馬”というものだろう。
なんとなく呆れると同時に危険も感じ、とりあえず来た道を振り返り、ミナルへの小旅行の断念に溜息をつきながら、この場を離れることにした。
が、丁度その時。
「うわああああ!?」
「!?」
背後から聞こえた、ひときわ近い位置からの悲鳴に思わず足を止め、再び広場の方へと振り返る。
すると、野次馬を2、3人巻き込みながら自分の方へ猛然と向かってくる一匹の馬の姿が目に入り……向かい来るその勢いに今までに無いような命の危険と恐怖を覚え、そのはずみで足がもつれてその場に倒れこんでしまう。
……もうだめだ、そう思った瞬間だった。

「そのまま伏せてて」

ただそれだけを口にして、なにか草色の粉末を巻き散らしながら跳ね上がる人影。
どこかで聞いたような声のその人は、走り回る馬の背に見事なまでに降り立ち、走る勢いに振り回されている手綱を両手に握り、アウロラを踏みつけるような位置に入り込む直前に、その疾走をなんとか横に逸らし、その危機を避ける。
「――どーどー、ほら、大丈夫だからおちついてね」
そして、そのまま数メートル進んだところで、急にその馬はスピードを落とし始め、数秒後には大人しくその場に停止していた。
……まるで魔法でも使ったかのような鮮やかなその手さばきに、周囲の人間は感心するより先に呆然と見つめるばかりだった。
「……あれ、さっきの子……」
なだめるように馬の身体を撫でながら、微笑んでその背から地面に降りたつその支援士。
その姿は紛れも無く、先程街路樹の上から降ってきたツインエッジと思われる少女だった。
「――痛っ……!」
今の今まで暴れていたとは思えない穏やかな様子の馬と、眩しいほどに優しく穏やかな微笑みを浮かべる少女の姿を目にし、ほっとしたその時、急に右腕に鈍い痛みが走った。
何事かと思い目を向けてみると、手首のあたりが赤く腫れている。
どうやら、倒れ込んだ際にへんな体勢で地面にぶつけていたらしい。
「あ、おねーさん大丈夫?」
その様子に気付いたのか、近くにいたナイトに馬を預け、ぱたぱたと駆け寄ってくる少女。
そのまますぐ横にしゃがみ混み、アウロラの腫れた右腕にそっとふれると、”うん、大丈夫”と言いながら、逆の手を高く天にかざすように上げて、何か呪文のような言葉を紡ぎ始めた。
『―天に在りし万物を照らす輝きをもって 彼の者達に祝福を― ラリラレイズ!!』
詠唱の完成と同時に、掲げたてのひらの上に淡く白い光を放つ球体が現れ、周囲をその光で照らし始める。
「あ……?」
それと共に、アウロラの腫れた右手の赤みも徐々に治まっていき、鈍く響くような痛みも少しづつ小さくなっていく。
そして数秒もしない間に、その怪我は跡形もなく消え去り、完全に元の状態に戻っていた。
……見ると、周囲にいた巻きこまれたらしい人達も、今の呪文である程度治っているようだった。
「……よかった……右手が動かなかったら、絵も描けなくなる……」
怪我が治ったことそのものより、その怪我から筆を持てなくなる事に恐れを抱いていたアウロラ。
相変わらずのんびりとした微笑みを見せている少女の力に、彼女は素直に感謝の念を抱いていた。



……が、
「おなかすいた~……」
ぐきゅるるる……とあまりにもわかりやすい音と共に、その場にへたりこむ少女。
空気を一気にぶち壊すような出来事に、アウロラは不覚にも思いっきり笑ってしまっていた。

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最終更新:2007年04月09日 18:58