それは今日を遡ること一週間前、町の酒場であった出来事。
〈ギキィ…ガタン〉
「いよぅ、カネモリの旦那じゃねぇか!?
昼間ッからここに来るたぁ、また『材料探しの護衛依頼』ですかい?」
「そうです、マスター。」
筋骨隆々で威勢の良いマスターがいるカウンター前の席に、静かに腰を降ろすカネモリ。
彼が昼酒をあおるタイプの人間でないことはマスターも十分承知なので、酒の代わりに
熱い茶を淹れる準備を始める。
「今度はどこだい? ミナル郊外の草原か? それともモレクの鉱山(ヤマ)かい?」
「それが…、目的地は決まっていないのです。
…強いて言うなら、
『目的の品が見つかるまでどこへでも』
でしょうか?」
「何だってぇ!!?」
マスターが茶葉に湯を注ぐ手を思わず止めてしまうのに構わず、カネモリは続ける。
「マスターもご存知でしょう? わたくしがかねてから『エリクシール』の製作に
取り掛かっていることは。」
「…あ、あぁ。どんな病気でも怪我でも一発で治しちまう『究極の薬』ッてヤツだろ?
『古今南北、何人もの錬金術師が研究の目標にしてきたが、まだどこの誰も
完成させたコトがねぇ』
とも聞いてるが…。…ほらよ。」
差し出された茶のカップを一礼して受け取りながら、
「わたくしは何年もの時間をかけてエリクシール合成の失敗例を調査し、自分なりに理想的な
合成方法を検討してきました。
また、それと同時に、そのために必要な材料も少しずつ集め続けてきたのです。」
「………。〈うなずく〉」
「数々の薬草。動物や魔物の臓器から抽出したエキス。鉱石や宝石の粉末。それらを溶かす
溶剤と、『属性』の反発を抑えるための中和剤。それに、全ての成分を融合させるために
欠かせないエーテル…。」
「???〈首をかしげ始める〉」
「とりわけ、最も重要な材料とされる『火』『水』『風』『土』の『元素(エレメント)』は、
そのうちの三つまでを純粋に精製することに成功したのですが……」
「………………〈頭を抱えている〉」
かつて創作者(クリエイター)だった妻から聞かされた予備知識はあるものの、その範囲を
越えた説明にもはやマスターは相槌を打つことさえできない。
「…お恥ずかしいことに、ただひとつ『風の元素』だけはわたくしの力が及ばず、どうしても
精製できずにいるのです。」
決まりの悪い表情を浮かべながら、彼はようやく言葉を切って茶を口に運んだ。
「…まさか! そんで『風の元素』探しに行こうッてんじゃ…」
「はい、そういうことなのです。」

 「う〜ん…。
そういや思い出したぞ!
カミさんの話じゃ…
『「元素(エレメント)」は特技使い(アビリティスキル)や創作者(クリエイター)にゃ作れず、
さらに高度な修業を積んだ錬金術師(アルケミスト)だけが精製できる』
ッてな。
…そんなシロモンがダンジョンにゴロゴロ転がってるたぁ、儂にゃどうにも信じられんが
なぁ…。」
するとカネモリは、
「これをご覧下さい。」
ゆったりとした袖の中から小さな紅い塊を取り出した。
一見すると石榴石(ガーネット)など宝石の原石のように見えるが、両手の掌で外からの光を
遮ってもなお自ら紅い光をゆるやかに放っている。
「コレはいってぇ…?」
「『火の元素』ですよ。」
彼はその塊をテーブルに打ち付けて一部を砕き、その欠片(かけら)を掌に乗せてキッとした
目付きで見据えた。
すると…
〈ボッッ!〉
欠片は炎を立てて燃え上がり、たちまち消え去った。
「……………。」
「わたくしは、この『火の元素』を行商人から買い取りました。
その人の話では、
『この光る石は冒険者がとあるダンジョンから持ち帰ったものだけれど、宝石商から
「宝石じゃない」と買い取りを断られたのでその辺の道具屋に売り払ったものが、
人から人へ転々としているうちに自分の元に来た』
というのです。」
「どこのダンジョンかは分からねぇのかい?」
「…さぁ、なにぶん何人もの手を経て伝わってきたものですから…。ただ…」
終始落ち着きを保ち続けてきた漆黒の瞳が、にわかに確固たる信念と情熱の色を帯びる。
「『元素』がダンジョンで手に入る可能性があることだけはこれでハッキリしましたので、
ぜひとも探しに行きたいのです!
エリクシール完成の…、古今の錬金術師たちが追い求めてきた長年の目標のためにッ!!」
するとマスターは「酒場の客の話し相手」から「支援士(ヘルパー)紹介・仲介者」の
顔に変わり、
「…そんなら、旦那の依頼内容は『目的地不定のダンジョン探索護衛』ッてコトになるな。
どこのダンジョンに潜るか分からんならハンパな支援士にゃ頼めねぇし、仕事の日数が
読めん依頼ともなれば乗ってくるヤツも滅多にいねぇだろうよ。」
「……………。」
「すまねぇが、一週間ほど日にち貰いますぜ。
できる限り声は掛けてみるが、それでもいいヤツが見つからなかったら、そん時ぁ気の毒
だが…諦めてくれい。
…報酬は、どうする?」
「…はい。
成功報酬として25万フィズ、
道具代や宿賃といった経費はわたくしが持ちましょう。」
「わかった。
そんじゃしばらく待っててくれ。儂も何とか頑張ってみるからなっ!」
「…よろしくお願いします。ご馳走さまでした。」
相談の間にすっかりぬるくなってしまった茶をカネモリは飲み干し、代金600フィズを支払って
席を立った。

 酒場のマスターとの約束通り、カネモリはその一週間を黙って待ち続けた。
しかし、「目的の品が見つかるまで各地のダンジョン探索を続ける」仕事は、もはや
「冒険」と言っても過言ではない。
それを旅慣れた冒険者同士がパーティーを組んで行うならともかく、
「自分の身を自分で守ることさえ万全とは思えない錬金術師を護衛しながら行え」
というのでは、きっとどんな支援士も尻込みしてしまうだろう。
(…やはりわたくしは間違っていたのかもしれない。
いたずらに支援士の手を煩わせ、この世のどこにあるとも知れない『風の元素』を探しに
行くなんて。
そもそも、わたくしがもっと修行を重ねて自分で『風』を精製できるようになれば、
このような依頼など必要なかったのに……)
酒場から何の知らせもなく一週間が過ぎ、最後の一日も太陽が西に傾きかけた頃、工房の
実験室で彼は自らの他力本願的な言動を悔やみ始めていた。
 支援士ジュリアが姿を見せたのは、まさにそういう時だったのだ。

最終更新:2011年03月19日 20:59