少女を連れていくということは、それ相応に金も掛かると、まぁ一応予想は付いた。
少女がまだ小さい為に、一緒に行動するとなると無闇に危険な依頼は受けるわけにはいかなくなったという問題もある。
しかし昨日少女に買った衣服類その他諸々は比較的安い物が多く、酒場のマスターがいつもより多めにくれた報酬金もかなりの量が余った為、しばらくの間は小さな依頼をこなしていっても問題は無いだろうと思った。
唯、1つだけ予想外だったのが、
「・・・なぁ、お前ら“遠慮”っていう言葉を知ってるか?」
少女が、その小さな体に似合わずティラ並に食欲旺盛なお方だったということだ。
「おーっ、嬢ちゃんがそれだけ見事な食べっぷりだと、こっちも作りがいがあるってもんでぃ。・・・ところでライト。おめぇ金は・・・」
「言うなマスター。言ったらオレの鉄の精神力が折れそうだ」
「そ、そうか・・大変だな・・・。だが、飯代は払ってくれよ?悪いがこっちにも生活があるんでなぁ」
「大丈夫。マスターが多めに報酬をくれたお陰で今日くらいは持ちそうだ」
―――って具合で。
「ぐう・・油断した・・・。まさかあれ程食うとは・・・」
少女の見事な食いっぷりによってできた予想を遙かに上回る出費に、ライトは思い切り頭を抱えていた。
おまけに大食は控えると約束したはずのティラまでもがよく食うことよく食うこと。
あれは絶対遠慮をしていない、約束なんぞ欠片も覚えていないような見事な食いっぷりだった。
「・・・おい、ティラ」
約束はどうした。と、責めるような目でティラを睨んだ。
「い、いや・・・。ちゃんと控えていました・・よ・・・?」
嘘つけ、視線を逸らすな語尾を濁すなこっちをしっかりと見て言え。
そんな思念波を送りつつ無言のままジッと睨み続けていると、ついに耐えきれなくなったのか、ティラはおずおずと俯き気味に小さく口を開いた。
「ごめんなさい・・・すっかり忘れてました・・・」
ほら予想通り。
「あーもーいいですよー。どーせこんな事になると思ってたからなー」
そう若干投げやりに答えてやると、ティラが「なぁっ!?」と憤慨したように叫んだりしているが、もー完全に無視を決め込む事にした。事実は事実なのだからどうにもならないだろう。
ティラの抗議の言葉をいつもの如くスルーして、尚且つワザとらしく欠伸なんかしちゃったりしていると、突然クイ、クイと、後ろからコートの裾を引っ張られた。
そちらを振り返ると、オレンジと緑のオッドアイの瞳と目が合った。
「どうした?リイン」
「がおー?」
そう言って―――いや、この場合鳴いてだろうか?から、少女は黒いコートの袖に隠れた指をある店に向かってさした。
「ん?あれか?あれは八百屋だな。野菜とか果物を売っている店だ」
そうライトは教えてやった。
少女―――リインは、無限迷宮のあの部屋にずっといたからなのか、知識というものをまったくと言っていい程に持ち合わせていなかった。それこそまともに言葉も喋れないほどに、だ。その為、今までうすい緑色の液体で満たされたガラス管から見る狭い世界しか知らなかったこの少女にとって、周りにある物は全てが未知の物であり、心躍らせるものだったのだろう。現に出会ってから僅か1日しか経っていない間に何度も、それこそしつこい位に何度も、今の様に身ぶり手ぶりで子供の様にはしゃぎながら(まぁ一応子供なのだが)、あれは何か、これは何かと聞きまくってくるのだ。いちいち答えるのも面倒だったのでティラに全て押し付け―――もといまかせるつもりだったのだが、何故かリインはこちらにばかり質問してくる。なぜかは知らないが懐かれてしまったらしい。
「がおー」
先程から指さしていた八百屋の前に並ぶ野菜や果物を見ながら、リインはオッドアイの瞳をキラキラと輝かせて、じゅるり、涎を飲み込んだ。その仕草にライトの脊筋に冷たいものが走る。
嫌な予感がした。とてつもなく嫌な予感がした。おいおいまさか冗談だろ?
「・・・まさか、まだ食う気か?」
「がおー!」
リインは、ライトの驚きと戦慄の入り混じった何とも嫌そうな問いかけを肯定ととるように、バタバタと両手をバタつかせながら何度も頷いた。その仕草自体は微笑ましいものだが、要求が要求なだけに素直に笑えない。
「駄目だ。さっきいやと言う程食っただろう」
「がおー・・・」
そうキツめに言ってやると、先程とは打って変わってしょんぼりと沈んでしまった、それに合わせて、オッドアイの瞳の色合いが、まるで染められたかのように変化し、海の様な深みを帯びた蒼色に変わった。
どうやら、感情の変化で瞳の色が変わるらしい。何とも不思議な少女である。
だからと言って財布の紐を緩める気は毛頭ないが。
「もー、リーちゃんはまだ子供なんだから、もうちょっと優しくしてあげないと駄目だよ?」
しょんぼりとしょげるリインに歩みよって、いい子いい子と頭を撫でながらティラはこちらを見て言った。
「・・・お前が『ちょっと』と言うごとに、財布の中身とオレの精神が『ちょっと』すり減っていることは知っているか?」
いい度胸だなコノヤロウ。と言わんばかりに半眼で言い返してやると、ティラは「ぐぅ・・」とも「ぬぅ・・」ともつかない声で唸った。どうやら痛いところを突かれて反論できないらしい。
なんにせよ、どんなことがあろうと財布の紐だけは絶対に渡さない。と、ライトはこれを機に再度オリハルコンよりも固く誓ったのだった。
「すみません。少しよろしいでしょうか?」
そんな風に呼び止められたのは、それからしばらく後のことだった。
振り返ると、笑みを浮かべた愛想のよさそうな金髪の青年を先頭に、服装も装備もバラバラな一団が、街道の中心を半ば独占する様に歩いてきた。
「・・・がおー」
「えっ?どうしたの?リーちゃん」
その集団を見るや否や、リインは唸り声のようなものを発して、ティラの後ろに隠れてしまい、その白い外套をギュッと握りしめた。その瞳は、先程とは打って変わって、炎か、はたまた血を連想させる様な赤色に染まった。
リインは子供ゆえか、基本的に人見知りを殆どしない。
それがこんなにも警戒心を剥き出しにするということは、ただ目の前の集団が気に入らないだけなのか、それとも身の危険を感じるような動物的な勘が働いたのか、それは分からないが、何にしても警戒しなければいけない一団だということは確かなようだ。
その怪しい集団は、ライト達に一定距離まで近づくとその歩みを止め、そして先頭で集団を率いていた愛想のよさそうな笑みを浮かべた金髪の青年が、その集団より1歩進み出た。
「私はロザート・エデヴァンと申します」
そう言い、ロザートと名乗った青年は笑みを絶やさぬまま礼儀正しく一礼をすると、部下達をその場に待機させて、2人の前に歩み寄った。
「突然で失礼ですが、あなた方が、あの無限迷宮の一室で奇妙な少女を見つけたという噂を耳にしたのですが、本当ですか?」
笑顔のままで尋ねる青年の言葉に、2人の視線が僅かに後ろにいる少女に向けられた。
青年もひょいとそちらに視線を向けると、ティラの白い外套の後ろに隠れて赤い目でこちらを睨んでいる少女がいた。
そして少女を見た瞬間に青年の眼が怪しい光を帯びたのを、ライトは見逃さなかった。
人の欲を見るのはお手の物だ。
ロザートは思わず緩みそうになった口元を何とか引き締め、2人にしたのと同じように恭しく一礼をする。
「我々は怪しい者ではありません。支援士や冒険者の方々が発見した未知の道具や生物を研究するしがない学者でしてね、今日はあなた方が発見したその娘が、無限迷宮の重要な秘密を持っていると思い、こちらで保護させて頂こうと思ってまいりました」
そう言い、二コリと笑みを絶やさぬまま、青年は右手を差し出してきた。
その右手から逃げるように、リインはぎゅっと身を固くして、ティラの白い外套を握る力を強めた。その様子は、まるで警戒心を剥き出しにした手負いの獣だ。その行為に、ロザートはやれやれと肩を窄めた。
友好的に見える態度に反し、その体から放たれる空気には、有無を言わずに渡せという危険なものが含まれていた。周囲の者達も、何もしていないように見せかけて、いつでも抜けられるようにと、さり気無く武器の柄に手を添えていた。
今は穏便だが、最終的には力ずくで奪い取る。と言うことだろう。
並の者なら、間違いなく周りの空気に負けて渡してしまっていたことだろう。
だが残念ながら、ライトは捻くれていた。
「断る」
それはもう、周囲の状況を理解しているのか疑問に思うくらい即答で、それも腕を組んで踏ん反り返るという、バカにしているのかと思わず言いたくなるような態度で言い放った。普通は状況把握の為に少し様子を見るだろうと思うのだが、そんなのお構いなしだ。
さすがにこれにはロザートは動じなかったが、周囲の人間は眉を顰めた。
「もちろん、御礼は致しますよ?」
御礼、という言葉にピクリと反応してしまったことに、改めて、金が無くて相当切羽詰まっているんだなぁ。とライトは少しだけ悲しくなってしまった。
「それはなかなか魅力的な提案だが、最初に見つけたのはオレ達だ。笑顔の仮面で顔を隠して手の内を見せない胡散臭い奴と、そこでこっそり武器の柄に手を添えている様な、物騒な奴らには渡したくはないね」
ライトの的確な指摘に、周囲の者達は、一瞬驚きはしたものの、すぐさま敵意を剥き出しにして各々の武器を構え直し、青年はどうやら笑顔の仮面が外れかけたようで、少しだけこちらから顔を背けた。
どうやら彼らは、その外見から容易に組み伏せられると思っていたようで、無限迷宮の内部から生きて出てきた実力者だということが頭からすっかり抜けていたようだ。
「そうですか。でしたら―――」
「あーそうそう、それからもう1つ」
何とか外れかけた仮面をつけ直した青年の言葉を遮るように、ライトが声を上げた。
人の話を遮る人は嫌われるので、良い子は真似をしないようにしよう。
「どうしても欲しいんだったら、力ずくで奪い取りな。ま、できたらの話だけどな」
ライトは腕を組んだまま、そう言って片目をつぶってウインクをした。だが―――。
「なっ―――!?」
ロザートが驚いたように声を上げたその瞬間、ライトを中心とした辺りの空間の雰囲気がガラリと一変した。
空気がビリビリと張り詰め、それに当てられた数人が思わず後ずさりをし、青年の顔からはどっと冷たい汗が流れた。
ライトの全身から発せられた殺気は、常人が発するような殺気のような生易しいものではなかった。直接受けたわけでもない、ライトの後ろにいたティラとリインでさえ顔から血の気が引いているのだ。それを直接向けられた本人達には溜まったものではないだろう。
「クッ・・!そうですか。できれば穏便に行きたかったのですが、それならば仕方ありませんね」
ロザートはそう言うと、後ろに控えていた者達に命令を下した。しかし、ライトの殺気に体がすくんでいた為、その行動が僅かに遅れた。そこへ、いつの間にか接近したライトが両手に持つ黒い双剣を閃かせた。
「我流―――“流爪”」
双剣を振りながら、まるで流れるように周囲の者達の間をすり抜けていく。そして、全ての人間の間をすり抜けてティラ達の所に戻ってきた所で、両手に持っていた剣を鞘に納めた。
―――キンッ。という乾いた音とともに、剣が完全に鞘に収まったその瞬間。
まるで斬られた現実を思い出したかのように、ライトがすり抜けた者達全員の装備の一部が切れて地面に落ちた。
これには、流石にロザート達も顔を強張らせた。
「ぐっ・・・!分かりました。今日の所は引き上げますが、ここで大人しく渡さなかったことを何時か後悔することになりますよ」
ロザートはそう吐き捨てるように言うと、部下達と共にいそいそと立ち去っていった。
ロザート達が立ち去った後も、しばらくその場に立っていたライトが、突然一息ついてくるりと振り返った。
「・・・はぁ、また面倒なことに巻き込まれる気がするな?」
「いや、『な?』って、こっちを見て言われましても・・・」
物問いたげな視線を向けられて、ティラは少し、と言うかかなり複雑そうな表情を見せた。
「ほらリイン。もう大丈夫だから安心しろ」
ティラの白い外套の後ろに隠れてこちらを見ていたリインの瞳が、まだ炎の様に真っ赤に染まっていたことから、ライトは安心させる様な気楽な笑顔でリインに言った。「私はそんな顔されたこと無い・・・」と言う苦情は勿論スルーだ。
「・・・がおー?」
「ああ、大丈夫。今度来ても有無を言わさずに追っ払ってやるよ」
「・・・がおー」
それで安心したのか、赤かった瞳が元のオッドアイに戻り、そして両手を広げてライトに抱きついた。隣ではティラが思わず「あっ!」と声をあげた。
『どうやら、マスターの癖が移ったようですね?』
抱きついたまま懐いた動物よろしくライトにじゃれつくリインを、何とも言えないような複雑な表情で見ていたティラに、ティタノマキアが少し悪戯っぽく口を挟むと、ティラは今度こそ顔を赤らめてバツの悪そうな顔になったのだった。