□リエステール酒場
夜遅く。酒場が店じまいをしている中
カロンと入口の音を立てて一人の支援士が入ってきた。
「ん…? こんな時間に誰でぇ?」
「マスター。夜分にすまない」
「おお、ヴァイじゃねぇか」
磨いていたグラスをテーブルに置き、マスターはヴァイの方を向く。
こんな時間に支援士が来る事は珍しい事ではなかった。
「…ここんとこ夜遅いのが連続だな。大丈夫なのか?」
「ああ…だが仕方ないさ。仕事だしな」
マスターはヴァイに水を差出し、ヴァイは答えてからそれを受け取り、飲み干した。
マスターは目を閉じて考え込み、もう一杯を注いでから、尋ねた。
「…リスティちゃんとは会えてるのか? 時間のズレとかは」
「また余計なお世話だな…」
ヴァイは呆れながら、おかわりの水を受け取って、それも飲み干した。
「まだ遅くない時間なら、一緒に飯を食べてるし。遅くなりすぎたら先に寝てもらってる。…今日はだいぶ遅かったからな。もう寝てると思うが」
マスターの問いかけにヴァイは言葉を追加して、コップをマスターへ返した。
その後、ヴァイは「とりあえずコイツを頼む」と、依頼達成のサインをマスターに渡した。
そのまま報酬を受け取って今日はギルドに戻るのだろう。
だが、マスターは報酬を差出しながら、ヴァイへ告げた。
「そうでぇ。ヴァイ、例の戦闘訓練。話が来てるぜ。受けるか?」
「ん? そりゃあ受けるが…相手が指定してる時間はいつだ?」
「今すぐだ」
そのマスターの言葉に、ヴァイはずるっと椅子から滑り落ちそうになった。
連日遅くまで仕事をしていて、体力もへとへとだというのに…
いやそれ以前に、常識的に考えて夜遅くに指定するというのもあり得ないだろう。いや、以前にあったけど、そう滅多にあるものじゃない。
「いや、待て。待て。さすがにこの時間だぞ…相手は誰だよ」
「ん」
ヴァイの心底呆れたような言葉に、マスターは親指を店の奥…キッチンのところを指した。
あそこに居るのは確か……
「わしの嫁だ」
「…マジか?」
マスターの嫁さん。いつもこの酒場の食事を作っている。言うなれば調理専門のクリエイターだ。
戦闘訓練って…戦えるのか?
「ルールは単純。一太刀入れてみろってことでぇ」
「いや…マスターはそれで良いのか? 勝負にならないだろ…?」
「構わねぇ。確かにお前ぇの言う通り勝負にならないだろうな」
やれやれ。という感じでマスターはカウンターを開けてくれる。
通っていけ。という事なのだろうが…
「…聞いておくけど、後ろからマスターが不意打ちとかねぇよな?」
「あのなぁ。これはお前ぇとアイツの戦いだ。わしが水差してどうすんでぇ」
確かにマスターの言う通りで、マスターはそういう事をする人ではない。
だが、ヴァイは一つ考えた。
昔は冗談だと思っていたが、あの事件以来マスターが昔は『狂気の獅子』と呼ばれていた事が本当だったことは知った。
その『狂気の獅子』が、頭の上がらない相手だぞ…?
ヴァイは、これはひょっとしたら一筋縄ではいかないのかも知れない。と思った。
(……奥さんはクリエイターだ。トラップを仕掛けている可能性は無いか…?)
一歩足を踏み入れつつ、周りを見回す。
すると、
「なんだこれ…」
ヴァイの目の前にあったのは……食べ物。十六夜で言うと、膳というのだろうか。
白い粒を山盛りにしたもの。濁り汁。そして、鶏肉。
困惑するヴァイの後ろで、マスターの声が発せられる。
「白米と豆腐の味噌汁。鴨肉の炙り照焼き。一汁一菜という十六夜の伝統的なスタイルらしいぜぃ。言っておくがアイツは飯に毒は盛らん。そんな事したらこの酒場が終わる」
「食え。って事か…?」
「どうすんでぇ? アイツはもう刃を出したぜ。後はお前がその膳を斬り伏せて一太刀を入れに行くか?」
後ろのマスターが、ニヤッと笑った顔を、ヴァイは簡単に想像する事が出来た。
なるほど…もう、答えなんて決まっているじゃないか。
「ズルイな。そんな事出来るわけがねぇじゃねぇか」
椅子に座り、ヴァイは濁り汁…豆腐の味噌汁を口に含む。
温かい。深みのある旨味が広がった。
鴨肉の照焼きも口にする。濃い味付けは、白米と共に食べれば程よい味わいとなり、食が進む。
マスターがヴァイの隣に座り、水の入ったコップを膳に並べた。
「ちぃと昔話に付き合ってくれや」
そうマスターは切り出して、ポツリポツリと語り始めた。
それは、何十年か前の十六夜の話。
狂気の獅子は、ボロボロの身体を引きずるようにしながら、夜中の町中を歩いていた。
心の中には、モヤモヤと訳の分からない思いが渦巻いていた。
(オレは、何を求めていたんだ……?)
ただひたすらに力を、強さを追い求めて、脅威となる魔物を討伐していた。
いや、討伐などといく良い方も、生易しいかもしれない。
ただひたすらに強い敵の話を聞けば挑み、それらを狩って来た。
かつての仲間からは、キツく詰め寄られた。「お前の強さは、はき違えている」と。
それがまるで理解できなかった。
危険があれば力でねじ伏せる。その力を求めるために、危険となりうる魔物に挑む。
間違っていない。そう思っていた。
だが。
(あの瞳が………頭から、離れない)
十六夜に、狂気の獅子が訪れたのは今回も同じく、力を求めて魔物を狩りに来たことだった。
今回の対象は、フロストファング。
成獣のフロストファングは噂に違わぬ強さを有しており、狂気を振るう相手に不足はなかった。
だが……最後の一太刀。
グランバルディッシュをその眉間に沈めようとした時、その一瞬。
フロストファングは、ただ深い瞳を狂気の獅子に向けていた。
勝った後に残るのは、優越感。相手を屈し、自らが生きている事の証明をする。その極み……のはずだった。
だが、死したフロストファングに、二匹の小さなフロストファングの子が、まるで親を温めるかのように、寄り添って、親の体毛を舌で舐めた。
そこに残ったのは、虚しさだった。
(オレは……オレは…………!!)
凍えるような十六夜の夜。
狂気の獅子は、そのまま意識を失った。
「ん……」
まぶしさに目を開けると、そこは木目の天井。
身体を起こそうとすれば、強烈な痛みが身体を走り、
首を動かせば、水がせせらぎ、竹がコンと一定のリズムで打ち鳴るものが目に入った。
いや、それだけでなく、白く丸い石が敷き詰められ、葉がトゲのように何本も生えている、捻じ曲がった変わった形の木が植えられていた。
ああ。黄泉とは、まず部屋に寝かされるのだろうか。
狂気の獅子に、そう思わせるほど幻想的な空間だった。
そこに、誰かが渡りを通って来て、入口で座ってから、女が一人恭しく入って来た。
「ごめんやす。あんさん、調子は宜しやす?」
「あんたは…?」
「うちは、弥生と申しやす…あんさん、うちの宅の前で倒れておったんえ」
ゆったりした柔らかな口調で、女は濡れたタオルを、狂気の獅子の額に乗せた。
だが、狂気の獅子ははっとなる。
(女に世話になるなど、そんな恥ずかしい話があるか!!)
そう思い直し、身体を起こそうとするが、やはり身体に痛みが入った。
「まあ」と、弥生と言った女は驚いたように声を上げたが、すぐにキツイ声で狂気の獅子を咎めた。
「あきません。そないな身体でどないしやすの…? 急くんは身体を癒してからにおし」
「う、うるさい…! オレの事は放っておけ…!」
「難儀な人やな…。ここは武人の街であり、義理と人情、任侠の街。あんさんを見捨てる“もののふ”はおりやせん」
狂気の獅子が、痛みに苦しみながらも、立ち去ろうとするその姿に、
弥生は、まるで童を見るかのような眼差しで、ふふ。と柔らかく微笑み、狂気の獅子の頬に触れた。
「お、おい…!」
「渡る世間に鬼は無し。笑う門には福来るゆうてな。 たんとお笑い」
「いでで…!」
そのまま、まるでいたずらをするように、狂気の獅子の頬をぐにぐにと横に引っ張った。
変な女だ。と狂気の獅子は思った。
「どうしても急くゆうなら、膳を無下にしていきなはる? そないいけずな真似しはるんかえ?」
そして差し出されたのは、白い粒を山盛りにしたもの。濁り汁。そして、鶏肉。
初めて見る。そんな料理だった。
とても良い香りがして、ぶちまけるなどという事はとてもじゃないが出来なかった。
「十六夜では、一汁一菜といいはります。米に豆腐の味噌汁。鴨肉の照焼きになります」
「…」
二本の棒の使い方が判らない。
困っていると、すっと弥生は見慣れたナイフとフォーク。そしてスプーンを取り出した。
黙ってそれを受け取り、鴨肉の照焼きを口に運ぶ。
「……う、旨い…!」
「おおきに。たんとおあがり下さい」
そう言って、弥生は狂気の獅子が全て食べ終えるまで、ずっと横に居てくれた。
膳を頂きながら、狂気の獅子はこの人生で初めて思った。
(……ああ。完敗だ)
魔物を倒し、勝ち続けていた人生で、初めての敗北だった。
弥生には、とてもじゃないが勝てない。勝負にすらならない。
だが、狂気の獅子は悔しさも妬みもなかった。
ただそこにあったのは、愛しさと…そして、自分にはこの人が必要だ。そういう思いだった。
「って言う事でぇ」
「なんだよノロケかよ」
「だははは!! そりゃあ自慢の嫁だからな!! 自慢して何が悪いんでぇ?」
バンバンとヴァイの肩を叩きながら、マスターは笑って答える。
ヴァイは膳を一つ残らず食べきり、マスターから出されたコップの水を飲んだ。
「……これは、完敗だな」
ああ、マスターの言う通りだ。勝負にすらならなかった。
そもそも、こんなにも思いやりがあり、温かな美味い飯を出す人を叩くことがどうして出来ようか。
そんな事が出来るのは、相当の下衆しかないだろう。
少なくともヴァイは、美味い飯を作ってくれて、それを振舞った奥さんに感謝をしていた。
マスターは、ヴァイの敗北を認めた言葉に一つうなずき、天井を見上げ……いや、それよりも遠くを見るようにしながら、呟いた。
「やれどれだけ強い。とか、やれどのくらい偉い。とかなんて、どれほどつまらねぇんだろうなぁ。わしが幾ら力自慢だとしても、アイツにゃ絶対ぇ勝てやしねぇ」
「……ああ。これはオレも勝てないな。こんな美味い飯をくれる人を無下に出来るわけがない」
だけども、ヴァイは小さく微笑んでいた。
これほど清々しく納得のいく負けが、そうあるだろうか。
「アイツにとって飯を作り人を幸せにするのは、戦いなんでぇ。それは、ヴァイ。お前ぇがリスティちゃんを護るために戦うのと何も変わらねぇ。
だからな、ヴァイ。アイツはお前も含めて支援士どもを大切に思ってる。その気持ちを汲んでやってくんねぇか? 仕事は分かるが無理はするんでねぇ」
平たく言えば、心配してくれたのだろう。
ヴァイは、「やれやれ参ったな…」という言葉を皮切りにして、一つうなずいた。
「判ったよ。明日は休む」
そう答えたヴァイに対して、横から声が入る。
「あきません。ただ休むだけのつもりちゃいまっしゃろな?」
その柔らかい独特の喋り方に目を向ければ。
黒髪にほっそりとした雪の様に色の白い、一目で目を引く、かなりの美人と判る女性が、立っていた。
その女性は、フルーツを切った小鉢をヴァイの前に差し出した。
「…なあマスター」
「ん? どうしたんでぇ?」
「この人は誰だ?」
ヴァイは思わずマスターに聞き返していた。
そのヴァイの言葉に、マスターはガクッと滑りそうになる。
「誰って。この話の流れならわしの嫁しかありえんだろうが」
「嘘つくな!! どう考えてもマスターみたいなオッサンに不釣合いじゃねぇか!!? 何かの間違いか!?」
「アホ言うんじゃねぇ!! 正真正銘、嫁のヤヨイでぇ!!」
ヴァイとマスターが言い争う横で、やはりその二人をまるで童を見るような目で優しく見つめながら、
弥生はヴァイの頭に掌を置いた。
「う…」
「あんさん頑張りはるんはええけど、リスティちゃんも頑張ってはるんやろ? ただ休むなんていけずな真似したらあきません。
男なら、デートに誘う器量を見せてくれませんとなぁ」
「あ、ああ。分かったよ…。明日は、リスティと出かける」
そうして、まるで子供をあやすようにゆっくりとヴァイの頭を撫でた。
それを甘んじて受けながら、ヴァイは改めて思った。「とても勝てる相手じゃないな…」と
□リトルレジェンドギルド
翌朝。ヴァイが起きてくると、他のみんなはすでに朝食を食べている所だった。
「おおヴァイ。昨日は遅かったようじゃの。もう少し寝ていてもよいのではないか?」
エミリアの言葉にヴァイは大丈夫だと手を振り、テーブルに腰を掛ける。
その後、隣のディンがトーストを齧りながら、ヴァイへ問いかけた。
「今日もこのまま仕事か?」
そのディンの言葉に、ヴァイの前に座っているリスティが、スプーンを咥えながらしゅん…と少し俯いてしまった。
それをティールは見逃さず、「やれやれ」と小さく首を振った。
「いや…リスティ」
「は、はい!」
ヴァイの言葉に、慌ててリスティは顔を上げて、ヴァイを見る。
「今日は休んで一緒に出掛けよう」
「え…えぇ!!」
その言葉にリスティは驚き、スプーンが落下してカラカラと音を立てる。
全員が、「おお」と感嘆の声を上げる。
ヴァイからそういう風に誘うのは珍しい。だけども、良い事だと思った。
「どうだ…? 迷惑だったか?」
「いえ! 全然! よろしくお願いします!!」
リスティは慌てて立ち上がり、頭を深く下げた。
そして、上げたリスティの顔は、ほんさっき俯いた時の暗い顔は消え失せて、
見ている方が幸せになるくらいのニコニコ顔で、シリアルを口に運び始めた。
(やれやれ。泣いたカラスがなんとやら…ってね)
ティールは内心そんな事を思ったけれども、
でも、幸せそうにしているリスティを見ることが出来たのは、良い事だなと思って、
「ん? ティール。おぬしにやけておるのか?」
「…知らない」
顔を隠すように、新聞を開いた。
――
戦績 5戦 1勝 3敗 1引き分け
過去対戦者
タキア・ノックス:冥氷剣を十枚符・魂縛術で暴発され、敗北してしまった。
ルーレット21:冥氷剣に対抗しジェノサイドブレイズを自分に撃ち、自爆特攻を狙うが失敗し勝利。
愛と正義の使者ジャスティスムーン:ラジア・レムリナムの乱入により中断。再戦(再修業)を約束し、引き分けとした。
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弥生:温かな料理を前に、もはや戦意は無し。完敗
最終更新:2013年02月20日 20:47