ルーン論 > Page7


■ 75 名前: Efendi :2002/09/12 00:18:35

石は恐怖するか? 再び
▼ なゆたさん
私はここがちょっと違うかな。
神に、われわれ人間とは異なるタイプの自由意志がある
と考えるよりは、
われわれ人間に(というよりあらゆるものに)自由意志はない。
と考えています。
これは社会的に規定されるうんぬん、とかじゃなくて、すべてが原子で構成され物理法則に従うとすれば、思考は配置された原子のパラメーターの結果なので。

この文章を読んだとき、私は なゆた さんが人間機械論を採るのかと思って、ちょっと失望したことを告白しておきます。
ですが、その失望は、私のほうが浅はかでした。

私は、私たちが形而上的なことを考えたり、未来を予測したり、何かを美しいと感じたり、あるいはなぜ自分は考えるのかと考えたりすることから、私たちは第一原質(物理学の原子)以外からも構成されている、と思っているのですが、それは具体的に言うと、自由意志とか、魂とか、神性といったものです。

が、以前、なゆた さんは私に「石は恐怖するか?」という問いを発せられましたが、いまから思えばこれは、第一原質は意志すら含んで不可分の実在でありうるか? というというではなかったでしょうか?

そうなると、私と なゆた 氏の相違点は、意志は第一原質の外にあるか内にあるか、ということになりますが、何らかのものが第一原質以外にありうるとすれば、第一原質はすでに第一原質ではありえないので、私のほうが分が悪そうです。

と、勝手に なゆた さんの考えを推測したんですが、見当違いだったらごめんなさい。

また、第一原質という単語は私が気にしているタームであって、 なゆた さんが原子論を採るかどうかは別問題です。ただ、ルーンというものが運動をも含む不可分な実在と(少なくとも私の中では)定義されているので、第一原質と呼んでしまってもいいかな、と思いました。

それにしても、こんなことを考えながら車を運転するのは危険極まりないです。

■ 76 名前: なゆた :2002/09/12 05:07:48

うーん^-^;
この文章を読んだとき、私は なゆた さんが人間機械論を採るのかと思って、ちょっと失望したことを告白しておきます。ですが、その失望は、私のほうが浅はかでした。
人間機械論といえば人間機械論。でも「機械」の定義って何よ?ということですかねぇ。
なんか自由意志だの魂だのっていう場合、それが「価値」が高く、(その対極になんとなく置いている)そうでないものは「価値」が低い、というように私は受け取ってしまいます。

もし「存在は己を美しいと規定する」とすれば、機械は自分が「機械的」であることを讃えているでしょう。

でも勝手に浅はかと畏まられても困りますT_T。

が、以前、なゆた さんは私に「石は恐怖するか?」という問いを発せられましたが、いまから思えばこれは、第一原質は意志すら含んで不可分の実在でありうるか? というというではなかったでしょうか?
そうなると、私と なゆた 氏の相違点は、意志は第一原質の外にあるか内にあるか、ということになりますが、何らかのものが第一原質以外にありうるとすれば、第一原質はすでに第一原質ではありえないので、私のほうが分が悪そうです。
と、勝手に なゆた さんの考えを推測したんですが、見当違いだったらごめんなさい。

ごめんなさいといわれても・・・すでに理解できません(笑)。

私がこんなことをぐだぐだ考えているわりに哲学書(・・・ひとくくりにするのもよくないか)を読まないのは、読んでいると「真理を語ろうとするなら、小学生でもわかるように説明しろよ」と頭がイタくなるからです^-^;。
Efendiさんの書いていることを理解しようとするときはもう必死なので、抽象的な用語は手加減してください(笑)。

石が恐怖するか、という点で言えば、Zコレクションに書いた陰陽師の一節がそのまま回答ですね。

「人や獣が恐怖して不思議でないなら 琵琶や石が恐怖しても不思議ではない
 琵琶や石が恐怖して不思議なら 人や獣が恐怖するのも不思議なのだ」

あんまりこういうの解説するの嫌いなんですが、ここでポイントは「不思議ではない」のほうではなく、「不思議なのだ」のほうですね。

それにしても、こんなことを考えながら車を運転するのは危険極まりないです。
はい。私もよく、この類のことを考えていて、アブナイです(意味が違う?)。

■ 77 名前: Efendi :2002/09/12 10:36:41

ぐだぐだ

▼ なゆたさん
「真理を語ろうとするなら、小学生でもわかるように説明しろよ」と頭がイタくなるからです^-^;。
Efendiさんの書いていることを理解しようとするときはもう必死なので、抽象的な用語は手加減してください(笑)。

Oui. 昨日は、なゆた さんの考えが分かったぞ、と有頂天になって、頭の中身がそのまま出てしまいました。説明します。

さて、私たちや足元で寝てる犬、そこに生えてる木、空、大地は何でできているの? と考える人たちは世界中にたくさんいました。

ある人は、それは原子でできているんじゃないかと考えました。7や20、1000といったさまざまな数がありますが、それは1という数が連続したものに過ぎません。同じように、この世のあらゆるものも、ものすごく小さくて、これ以上分割できない何かからできているんじゃないか、と考える人がいました。これを、原子論、といっておきます。

別の人は、質量と形質でできているんじゃないかと考えました。例えば、赤い服、というとき、服は「赤く」なくても存在しえますが、「赤い」は服なしでは存在しえません。でも、私たちの悟性(直感)は「赤い」という手に触れられないものもある、と感じています。つまり、世の中はそうした手に触れられるものと、触れられない形容詞的なものから成り立っているんじゃないか、と考える人がいました。これを、形質論、といっておきます。

またある人は、物体は変わらないのではないか、と考えました。例えば、ひまわりの種が朝顔になったりはしません。私たちの身体を構成している何かは、私たちになるような要素をすべてあらかじめ持っていて、他のものもすべてそうで、私たちの身体を細かく刻んでも、それは私たちに他ならない、と考える人がいました。私たちの身体や他のに何かを形作っているそれぞれの小さいものは、栄養とかを与えられて私たちやその他のものになる、ということで、可動態、といいます。

また別の人は、世の中にあるものは私たちがそうである、と信じ込んでいるだけで、そこには本来何もないのだ、と考える人たちもいます。

さて、昔の人は一つの考え方ですべてが説明できなければダメだ(そうでなくては真理ではないから)、と考えていましたが、ちょっとそれは大変だ、ということで、とりあえず、証明して人に説明できる部分だけを取り出して、そのことだけは確かに正しい、ということにしておこうよ、という、経験主義的方法、がみんなで採られるようになりました。

そして、その経験主義的分析の結果、私たちの身体や世界のほかのいろんなものは、どうやら100余りの原子から成り立っているらしい、という答えが出ました。さらにこの100余りの原子は陽子と電子、中性子からできていて、それらはさらに6つの量子でできている、ということまでわかっています。それと4つの力が世界を動かしているということも。あと、もう少しです。

でも、この結果を得るために使った経験主義で、私たちは分からないことをそのままにしておきました。それは例えば、私たちが考える、というのはどういうことか? といったことです。
世の中に起こることすべては、石を蹴飛ばせば遠くに飛ぶように、何かが起こる原因(要因)とその結果から成り立っている、と信じている人たちは、私たちの身体も機械のように、そのようになっていると考えているのですが、さて、今自分が、そのようにつまらないことを考えているのも、何かの要因からおこった電気信号が自分の頭の中を駆け巡っているに過ぎないのでしょうか? さらに、そんなことを考えていると考えていることも。

このように、私たちの心はそういう単純なものじゃなくて、もっと別の何かの働きによるものなんだ、と考える人は昔からたくさんいました。だってねぇ、自分の恋人がそう考えていたら、嫌じゃない。
それはともかく、こういう考えは、実は私たち人間は、犬とかただ単に反応だけで動いているものとは違って、高級なんだ、より神に近いんだ、と考えたいために考え出されてきた経緯があります。
でも、犬と暮らしていると、彼らも夢見たり、心配したり(つまり未来を予測したり)、と高級な心の動きを示していることがわかります。で、犬にも心があるなら、じゃあ、ワニは? 樫の木は? さらに石は? ということになっていきますね。

蛇足ながら、そういう心というものは、精霊だとか、神性だとか考えられました。つまり、神様の一部が私たちの身体の中にあるから、私たちの身体を焼いてみれば分かるとおり、私たちはただの埃のようなものからできているのに、埃と違って、考えることができる、というわけです。
でも、だから、私たちの中の神性を練り上げれば、私たちは神様になれる、というと、神様が私たちを造った、と考えている人たちには認められないことでした。でもこの人たちも、私たちが考えるのは神様に似せて造られたからだ、と考えていて、私たちの心、というものは神様と同じか、似たようなものなんだ、と考えているのはだいたい一緒です。

せっかくもう少しで世界のすべてを説明できそうだった近代物理学は、物理学の中からちょっとおかしくない? という意見が出てきました。なんか、すっきり説明できすぎてるよ、というのです。
そんななか、有名な実験が考え出されました。光はやっぱり光の粒からできている、と考えられていたわけですが、2人の観察者の前に分光器と集光器を置いて、光の粒を分光器に通し、分かれた光の粒を鏡で反射させて、集光器の方へ送ると、集光器でも同じ光の粒が見えるわけですが、光の粒はもう分けられないので、普通の時には別れて通る2本の道のどちらかを光の粒は通っているはずです。ということは、逆に考えると一方の道には、本来あるはずの光の粒がないことになる。ん? 光の粒はあったりなかったりでいいわけ?
私たちは、確認次第で光の粒あるかないかを左右させることができたのです。ということは、もっといろんなことを考えると、世界がたった6つの量子と4つの力でできている、なんていうのも、私たちがそう考えたかったからそういう風に見えるだけなのかも…。これを決まり文句で、観察が宇宙を変える、といいます。

観察する、というのは私たちの心の動きですね。私たちの心が世界そのもの、ということになる。
でもそれって、自意識過剰じゃない? 『王家の紋章』のキャロルじゃあるまいし、あなたがいなくても私がいなくても、せかいはそこにあるよ、きっと。
ちょっと、極端から極端へじゃないだろうか?

ちょっとおさらいしてみよう。私たちの世界は私たちがいなくてもそこにありうる、何か確固としたものでできている。一方で、私たちの頭の中の動きや、それでしか捉えられない形のないものはそういうことでは説明できないものもたしかにあるみたいだ。そして、この2つは、どっちかしかない、ということじゃなさそうだ。

ところで、ずっと前に形質論について説明したけど、赤い服、といっても、犬の目には白黒しか映らなくて、彼らにはこれがちょっと黒っぽい服に見えるみたい。でも、彼らは鼻がいいから、これは臭い服、これは香水の染み付いた服、って見えているんだと思う。
服は服としてそこにある。でも、それは見る人の感覚によって違ってくる、という説明は、さっきの、世界はそこにあるけど、観察によって違って見える、という話に近くない? これは結構、イケてるんじゃないかな?

でも、これはこれでいいとこ取りな感じもする。それに、見る人によって違う、というものをどうやって他の人に説明するの? みんなでそうだ、と感じられないものが事実なんてことがあるだろうか? それでもいい、というなら、何でもありになってしまう。
本当は、私たちの心の動きにしても、私たちが見つけていない何かの動きによるもので、それを良く分からないから、そのままにしておこう、というのでは、しょうがないよね。

じゃあ、私たちの心を複雑に動かすものは何だろうか?


なんか自由意志だの魂だのっていう場合、それが「価値」が高く、(その対極になんとなく置いている)そうでないものは「価値」が低い、というように私は受け取ってしまいます。
というわけで、いまの物理学では説明してない何かがあるだろう、ということです。

原子とかルーンとかいえばいいものを、第一原質などといってしまったのがよくなかった。世界を構成する最小物質のことです。

琵琶や石が恐怖して不思議なら 人や獣が恐怖するのも不思議なのだ」
あんまりこういうの解説するの嫌いなんですが、ここでポイントは「不思議ではない」のほうではなく、「不思議なのだ」のほうですね。

ありゃ、こっちが力点ですか? でも普通の恐怖なら、ある程度、反応で説明できるとも思いますが。
不安、ということになると、未来の予測を含むので、反応以上の心の動きが必要になると思います。

ところで、事実、ということになると、証明によってみんなが納得できる何かではなければならないと思うのですが、心の動きというものを表した単語や成句というものは意外と少ないですね。この心の動きを表す言葉の少なさこそが、実は心の動きというものが他者と共有し得ない、ということの表れの一つなんじゃないか、と薄ぼんやりと考えています。

さて、平易に書けたでしょうか? ぐだぐだ感が増しただけのようにも見えます。

■ 78 名前: なゆた :2002/10/08 13:02:17

ツッコミどころがあったので

世の中に起こることすべては、石を蹴飛ばせば遠くに飛ぶように、何かが起こる原因(要因)とその結果から成り立っている、と信じている人たちは、私たちの身体も機械のように、そのようになっていると考えているのですが、さて、今自分が、そのようにつまらないことを考えているのも、何かの要因からおこった電気信号が自分の頭の中を駆け巡っているに過ぎないのでしょうか? さらに、そんなことを考えていると考えていることも。
このように、私たちの心はそういう単純なものじゃなくて、もっと別の何かの働きによるものなんだ、と考える人は昔からたくさんいました。だってねぇ、自分の恋人がそう考えていたら、嫌じゃない。

好ましいです(笑)。

琵琶や石が恐怖して不思議なら 人や獣が恐怖するのも不思議なのだ」
あんまりこういうの解説するの嫌いなんですが、ここでポイントは「不思議ではない」のほうではなく、「不思議なのだ」のほうですね。
言い換えてみましょうか。
「石が恐怖しないことが不思議なのではない。人が恐怖することが不思議なのだ。」
ほら、Efendiさんのいってることと同じでしょう?

さて、平易に書けたでしょうか? ぐだぐだ感が増しただけのようにも見えます。
あなたは正しい(笑)。

■ 79 名前: azatoth :2002/10/08 19:52:29

好ましいねぇ。

好ましいです(笑)。
賛同しておきます。

なゆた
僕と君ってダメなのかな?(笑)

■ 80 名前: なゆた :2002/10/08 20:43:02

啓発済みと思われます(ピポ)。

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