ボートレース~marine side boat race~


 一艘のゴムボートが見える。その上には二人の女性が座っていた。かたやセミロングの髪を結い上げて長い袖を振りながらボートを操縦する女性。もう一人はショートの髪に髪飾りが印象的な少女であった。

 秋も深くなると言うのに気温は24度、同じ東京都といえども本土とは10度も違う。
「秋に入っても、暖かいもんだねえ」
 都築つらねは眼鏡に日差しを反射させながら隣にいた黒髪を後ろで束ねた男、時雨に率直な感想を述べる。そのまなざしは、接舷しようとする待ち人達の方を見ていた。その視界は上下に揺らいでいる。
「本当に。何度かここには来ていますが、まさに常夏の島ですよ」
 時雨も揺られていたが同じく待ち人を見つつ感想に応じる。
「詩歌藩国や伏見藩国にいたころと比べれば、ずいぶん暖かいけども・・・」
「どっちも北国ですからね」
 都築は、それもそうか、と納得した。
 波間に漂いながらボートが接近する。操縦していた女性、ミズキは操縦席で立ち上がると両手を広げて声を掛けてくる。
「ようこそ、レースに」
 初めての言葉にしては妙な台詞。その眼には妖しい光が宿っていた。二人は気づかなかったが、それはスピードに魅入られた者が見せる笑みであることを。
「なんだい、お姉さん。レースとな」
「レース?」
 なんておもろそうな、と言いたげな表情の都築と、首をかしげた時雨は同時に反応した。
「いえ。レースはしないでもいいですから」
 髪飾りをつけた少女、エステルはミズキを窘める。そして言葉を継いだ。
「反応しないでください。冒険じゃなかったんですか?」
 その反応は相変わらず冷ややかだ。時雨が反応したことも引っかかっているらしい。
「なつかしや砂帆船レース……ああ、すいませんね、エステルさん。ついつい、オフだから羽を伸ばしたくて。まあ、呼んでもらった身ですからねえ、時雨さん、お任せしますよ。」
 このボートレースと言う単語は昔、お祭りで行った砂帆船レースを思い起こさせる。あの当時の熱気は凄かった。無名騎士藩国で行われたにも関わらず、犬猫問わず様々な国から参加者が集まっていた。もはや懐かしい話だ。
「速度への冒険ってことで」
 ミズキが茶々を入れた。キッとエステルの表情が一段と険しくなる。
「はは、都築さんとレースも面白いかもしれませんけどね」
 それを知ってか知らずか、時雨が後押しをする。エステルはその一言に額に手を起き、嘆息した。そして、覚悟を決める。
「エステルさん、いかがですか?僕も、船乗りとしての実力を試してみたいですし」
 覚悟は決めたが、やはり半ばあきれ顔だ。この友人は何でこんなに命知らずなのだろうか。
「いいですけど、死なないでくださいね」
 何で、この人はいつもこうなんだろう、と思いつつエステルはそう返す。
「死ぬなんて、大げさな」
 どう見てもミズキの『レース』を侮って暢気な時雨の発言に、エステルは白い目で応じた。その予言は1分で現実のものになる。

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 ミズキはゴムボートをもってきた。いや、ゴムボートと言うには語弊がある。普通ゴムボートという者は船外機を4台もつけたりはしない。しかもそれが2台と来た。どこにこんなものを作る物好きが居たのかと頭を疑いたくなるような代物だ。 船外機は横に4台連結され相当な推進力が得られるだろう事は間違いない。とはいえ、どう見ても安全性に疑問符をつけざるを得ないだろう。
 好きなほうを選んでいいと言われても違いなどわかる訳がない。どう見ても色が違うぐらいしかない。その色は赤と青であった。
(赤は私は特に縁が悪い)
 都築は自分が白オーマであることが赤との交渉の時に決裂の原因となった件が頭をよぎった。
「白があればよかったんだけどね。じゃあ、赤にしましょうか。魔よけになりますよ」
 時雨は友人である都築を気づかいそう発言した。
「……赤は勘弁して欲しいね。折角のオフだから、オフだから!」
 都築は眼を白黒させながら叫ぶ。頭の中でいろいろとよくないことがよぎっているらしい。時雨の仕方なさそうな、青にしますか、と言う問いかけに平伏しながら答えた。
「では、都築さんはミズキさんとで。僕がエステルさんと赤に乗るとかどうでしょう」
 時雨はお互いが目的の人と一緒になれるようにさりげなく提案する。
「それがいいですね。……よかった」
 エステルは心底安堵したような表情で呟いた。エステルは早々と時雨とともに乗り込む。気になる発言だが、二人は気にしないことにした。そして、ミズキは涼しい顔だ。言われるのにも慣れているのかもしれない。そして早く乗りましょうと都築に促した。
「OK、宜しく、ミズキさん。自分、何すれば良いです? 船については貴女のが長がありますしねえ。」
 都築は凶悪なそれに乗り込むとミズキの指示を待った。
「まずは、……前に乗って、バランスをとって。それで、絶対に落ちないで」
 ミズキの答えは明快だった。いわばボートのウェイトとして使うつもりらしい。どこまでもその瞳に映るはスピードの世界であるとも言える。
「……一応、うちのWDで鍛えてはありますがな。頑張りましょうとも、おう!よろしく!」
 もはや都築は悟っていた。この先、待ち受けて居るであろう苦難を。

 一方、赤いボートでは時雨とエステルの二人が乗っていた。もともと時雨はエステルを船に乗せたい、と言うことからここに来ている。当初の目的は既に果たしたも同然だ。
「さてエステルさん、舵取りお願いできますか?」
「はい」
 エステルは時雨の問いかけにハッキリと答えると船外機にニトロを入れ始めた。これで加速するとなればどれほどのスピードになるだろうか。
「よろしくお願いします。潜水艦や宇宙船とは勝手が違うでしょうが」

 そして始まりの時が来る。

 都築はミズキの前に座っている。思ったよりも水面が近い。腕まくりをして、眼鏡をがっつり固定する。これで、準備万端だ。
 時雨は手元に杖とお札を忍ばせていつでも理力を使えるように備えた。いざというときの為の準備だ。
 船が動き出す。エステルは軽く動かし始めたのだ。
「灯台がスタートライン」
「分りました」
 ミズキの声にエステルが頷く。徐々に速度が上がる。ボートはその特性上直に風を受ける。時速90km近くでの合成風力はあらゆる台風をも超えるほどだ。
「いざ、ゴッドスピードで。楽しみましょうかあ。」
 暢気なことを言ってる都築はまともに風にぶつかりつんのめりそうになる。だが、すぐさまボートのロープの両端をしっかり握り笑みをを浮かべる。笑いが風で歪みまともに笑えない。このぐらいなら、まだまだいける。
「この風は……流石に」
 時雨が言いかけたその瞬間、灯台をテイクオーバーし、視界が変わった。
(……青?)
 疑問と同時に着水。空気のない世界に突入した。どこまでも青い海。中は船と自分とで立てた泡で真っ白である。
(エステル、エステルは?)
 時雨が周りを見回すと転覆したボートの近くからエステルが顔を出す。どうやら一気に加速しすぎたのが原因らしい。
「ゴウゴウ!イヤッハアー!!!」
 都築とミズキ、超ハイテンションでカーブ。 ミズキはゲラゲラと笑っているらしい。
もはやこのスピードは死ねる領域だ。都築の問いかけにミズキはただただ笑い続けながら浅瀬を疾走するのみである。
 だが、その先に待ち受けるのは岩場。激突すればそれだけで即死確定だろう。
 都築は体重を右に寄せカーブ。エステルも賞賛する絶妙の体重コントロールで岩場を避ける。そして体勢を立て直した。
 ミズキはそれを受けさらに速度をあげた。4台マックス。もはやボートが水に浮いているというよりは水の上を飛んでいるんではないかと感じる。

「飛ばしすぎじゃないですか?」
 心配になった時雨はエステルの隣に並び、聞いてみる。
「そうですね。転覆すれば、あの速度なら死にます。……コンクリートよりも硬い水面になる」
 予想通りとも言えるが、エステルのその答えに時雨は祈るしかできなかった。
「……頑張れ、都築さん」

 次にミズキ達が向かったのは入港する客船の方向であった。弾丸のように突っ込んでくるゴムボートに客船から俄に悲鳴が上がった。そして、気づいた時には既にもう遅い。客船がルートを変更して避けるには時間がなさ過ぎた。
 先ほどのまでのスピードであればギリギリのタイミングでゴムボートは曲がり始めた。あくまで、先ほどのまでのスピードであればの話だ。いかんせん速度が速すぎる。
「げっ」
 時雨は最悪の事態を思い浮かべ青くなった。
 さようなら、と呟くエステルに思わず激昂する。縁起でもない、そう思ったからだ。こんな最悪の状況ですら都築とミズキは笑っていた。バランスを取ったまま絶技詠唱を開始する。リューンがリンに隷属し、全てを避け切る盾となる。迫る客船の悲鳴を背にあり得ない角度で船は海上を滑った。それはまるで青き波打つゲレンデを駆けるシュプールの様でもあった。
「さすが白にして秩序……チートっぽいけど」
 胸をなで下ろす時雨。
「ミズキさんって、いつもああなんですか?」
「まあ、たいていは」
 びしょ濡れのままボートに捕まる二人は目の前の惨状からすれば全くの部外者だ。
「あがりましょう。お茶でもどうですか」
「え、ええ。このままだと風邪引きますしね」
 いつまでも秋の海の中ずぶ濡れのままで居る必要はないだろう。冷静な判断であろう事は間違いないが、そのエステルの気づかいに時雨は胸の中で何かが灯るのを感じた。元々は参謀として隣に立っていたハズだった。逢瀬を重ねるごとに、関係が変わっていく。
 いつしか時雨はこの隣で表情も変えないまま遠く繰り広げられている惨状を眺めている横顔に意識もせずただ見惚れていた。エステルは思いついた様にすっくと立ち上がった。それに呼応して前を向き直る時雨。ちょっと、取ってきます、と時雨に声を掛けてエステルは席を外した。
 前には飛沫の割には横向きへの移動が少ないボートが映る。加速し続けているはずなのになぜだろうか、と時雨は一思案。
 一方都築の側から見ると、風の抵抗を減らす為に斜方への強烈なベクトルを感じていた。ミズキも都築も共に低い体勢で風の抵抗を最小限に抑えようとしている。妙なテンションになっており、二人はもはや笑う事しかしていない気がする。
 風になるとは、こういう事なのかもしれない、と半ばヤケになりながら都築は思った。

「あれぐらいのスピードだと、200m級の台風並みに感じるはずです」
 いつの間にか戻ってきていたエステルが時雨の隣に立っていた。ちょこんと、身体を寄せながら一緒に火に当たれるように座った。その手にはポットと2人分のカップが用意されている。
「それじゃ、まるでハリケーン……」
 時雨に頷きながらエステルはコップに口をつけた。ポットの中には温かいお茶が入っているようだ。
「お茶、頂いていいですか?」
「ええ」
 差し出されたコップを受け取り、温かい液体で喉を潤す。どうにも甘い気もするが、身体の中から暖まる気がする。

 遠くのボートを遙かに超える大波が立ち上がった。自然というものは時に獰猛に牙を剥く。荒れる海に無謀にもスピードで挑もうとする哀れな挑戦者をあざ笑うかのようだ。

遠く木霊する悲鳴。

「悲鳴!?」
 時雨は暖まっていた身体から一気に血の気が引いた。そこにエステルの言葉が追い打ちを掛ける。
「葬式に出る時の服を考えないといけませんね」
「……」
 おいしい人を亡くした(誤字ではない。実際これほどのノリノリの人物がおいしくなくて誰がおいしいというのだ。)、と時雨は思った。そして、エステルは祈りを捧げる聖女のように目をつぶる。
 巨大な波に垂直になりながら耐えていたゴムボートは雪崩のように崩れ落ちる波頭にはじき飛ばされ、海の藻屑と消えた。
 垂直に立ち乗りという荒技を繰り広げていた都築は……

 飛んだ。

 文字通り、飛んだ言うのが正しい。いわゆる斜方投射と言われるものだ。下から来る突き上げる力と立つ角度から合成されるベクトルはほぼ斜め上に打ち上げる形となった。当然ながら人という存在に空を飛ぶという機能は無い。人を超えたといえるオーマという存在であっても、能力が無ければ空を飛ぶことはできないのが普通だ。
 このままでは11秒後に200m先のコンクリートより堅い海面に突き刺さる事になり、ほぼ間違いなく即死することができるだろう。一般的には、そうだった。
 空を飛べないオーマは人と同じ。海面で無惨な姿を晒す運命にはあらがうすべがないかのように見える。だが、都築藩国には一つだけどこにも負けないものがあった。
 それは、戦場で身に纏う無骨な舞踏服。ウォードレスという存在である。それが、紙一重で都築の命を救った。飛ばされた都築は船外機に身体をスクラップにされることもなく、生還することができたのだ。
 盛大な着水音が鳴り響いた。

「はぁ……」
 エステルは、大きくため息をつくと、自業自得ですね、と言った。
「すみません、また物騒なことに巻き込んで」
 反射的に時雨は謝った。いつもと同じように。
「いえ。いつかこうなるとは、”確信”してました。……帰りましょうか」
 海に背を向けつつエステルはそう言った。その背中に時雨が声を掛ける。
「捜索、できませんか?」
 エステルは時雨の方に向き直る。そして時雨は次いで言葉を紡ぐ。
「今から海に出て、ミズキさんを」
 時雨の中ではただ、このままでは終われないという思いが強い。
「……」
 沈黙が場を支配する。エステルは時雨のその眼差しを見て、仕方ない、と独りごちた。
「分りました」
 時雨はエステルに礼を言う。
「痛い目にあうべきだと思いますけど」
「痛い目は、十分みたとおもいますから」
 再度沈黙。仕方ない、と言いたげではあったが、手分けして探した。時雨は仕方ないと言いたげであろうと結局付き合ってくれるエステルに感謝しつつ探した。

 結論から言えば、ミズキは見つかることはなかった。日が暮れて探しづらくなったところで、撤収を余儀なくされたのだ。余談になるが、そのミズキについてだが、夜明けの船に救助されていたらしく、たっぷりとエリザベスに怒られたという。